「ほっ」と。キャンペーン

林蘊蓄斎の文画な日々
by sumus_co
カテゴリ
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
京のお茶漬け
東京アレコレ日記
佐野繁次郎資料
宇崎純一資料
渡邊一夫の本
青山二郎の本
spin news
読む人
パリ古本日記
写真日乗
あちこち古本ツアー
装幀=林哲夫
著述関連
画家・林哲夫
雲遅空想美術館
淀野隆三関連
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
貧乏こっとう
ほんのシネマ
以前の記事
2016年 11月
2016年 01月
2014年 02月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
more...
お気に入りブログ
フランス落書き帳
フランス美食村
退屈男と本と街
ニューヨークの遊び方
gyuのバルセロナ便り ...
奥成達資料室blog版
空ヲ洗フ日々 十谷あとり
浅生ハルミンの『私は猫ス...
古書渉猟日誌
bookbar5
わたしつくるひと
猫額洞の日々
トスカーナ オリーブの丘...
フォロニアム
昨日の続き
モンガの西荻日記
往来座地下
天音堂★山口ヒロミ工房_...
NabeQuest(na...
フランス古道具 ウブダシ
Mの日記@古本T「たまに...
日常と夢の記憶
Gallery Shim...
and so on...
亡兎観現世
石のコトバ
ボローニャに暮らす
糸巻きパレットガーデン  
Kumatetsu Ga...
Muntkidy
Lenzgesind
奈良 智林堂書店  
うらたじゅんの道草日記
高遠弘美の休み時間・再開...
ネジ式
さし絵のサイン
机の上で旅をしよう(マッ...
森のことば、ことばの森
新潟絵屋Blog
オックスフォード便り
白 の 余 白
Madame100gの不...
ツレヅレナルママニ(みど...
関西の出版社
めぐり逢うことばたち
古本万歩計
りはびりカメラ
ムッシュKの日々の便り
Books & Things
ちらしDMコレクション
ネコと文学と猫ブンガク
daily-sumus2
最新のコメント
今はネット古書行脚でしょ..
by sumus2013 at 20:41
学生時代は、カンダの古本..
by 根保孝栄・石塚邦男 at 07:34
御教示に深謝です。蓜島氏..
by sumus_co at 08:37
「『正誤正刪『日本近代文..
by MY at 11:05
了解いたしました。
by sumus_co at 08:30
神谷様 御教示に深謝いた..
by sumus2013 at 20:06
神谷道一と神谷由道は親子..
by 神谷 at 15:59
kikiさま コンドルで..
by sumus_co at 15:53
ジャン・コクトーだなぁ。..
by 根保孝栄・石塚邦男 at 06:59
先日来、調べごとをし..
by kaguragawa at 22:13
メモ帳
お問い合わせはこちらまで

本を散歩する雑誌 [スムース]
洲之内徹略年譜
『書肆アクセスの本』
ほんまに日記
恵文社一乗寺店
Calo Bookshop & Cafe
貸本喫茶ちょうちょぼっこ
BOOKONN
奥付検印紙日録
とらんぷ堂
書肆砂の書
みずのわ編集室
みずのわ放送局
エエジャナイカ
蟲文庫
古書日月堂
海月書林
田中栞日記
古書の森日記
日用帳
なえ日記
lady pippon
古書現世店番日記
海ねこ的日々の暮し
m.r.factory
ナンダロウアヤシゲな日々
内澤旬子・空礫絵日記
四谷書房日録
森茉莉街道をゆく
ねこそぎ記念
本の街日記
リコシェ
旅猫雑貨店
津田明人
北方人日記
柳居子徒然
駅前糸脈
日々のあわ.。o○
晩鮭亭日常
空想書店書肆紅屋
bibliomaine mod
autographes et …
BiblioMab
Le blog de Yv
Le Monde
Gibert Joseph
bnf
BRITISH LIBRARY
Galaxidion
Library of Congress
Strand Bookstore
The Book Design Review
penguin blog
Mark Simonson Studio
modernmechanix
くうざん本を見る
神保町系オタオタ日記
ma-tango
jun-jun1965
書物蔵
スローラーナー
本はねころんで
漁書日誌
城戸朱理
町家古本はんのき
古書ダンデライオン
Kanecoの日記
吉岡実の詩の世界
qfwfqの水に流して
古本屋ツアー
清水哲男
Automat svět
細馬宏通
中野晴行
古通・編集長日誌
昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板
喫茶・輪 
古本ときどき音楽
本と暮らす
ウロボロスの回転
表現急行
tundowの日記
盛林堂日記
フクヘン
ですぺら
花森安治の装釘世界
文壇高円寺
ぶろぐ・とふん
medievalbooks
マン・レイと余白で
okatakeの日記
古本ソムリエの日記
最新のトラックバック
京都印刷発祥之地 記念碑建立
from 印刷見聞録|からふね屋|京都
本を散歩する雑誌 [スム..
from 相互に旅をする人
土曜日のブックオフ
from 古本万歩計
[書評][詩歌に寄せるエ..
from 読書百篇
第33回西荻ブックマーク
from 西荻ブックマーク
北野武似の少年は夏休み、..
from 月の風ノート
【ライト兄弟】についてブ..
from 最新キーワードチェック!
『田辺茂一と新宿文化の担..
from じんぶんや「紀伊國屋書店と新宿」
美の名言
from 美の名言
横尾忠則の小説
from Mの日記@古本T「たまにはス..
ライフログ
検索
タグ
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:雲遅空想美術館( 121 )

うづらと夜のノートルダム

b0081843_1956954.jpg

洲之内徹『絵のなかの散歩』に「鳥海青児「うづら」」という一編がある。例の《買えなければ盗んででも自分のものにしたくなるような絵なら、まちがいなくいい絵である》という名言(?)から始まっている絶妙なエッセイだ。

写真家の土門拳が、まだ洲之内徹が田村泰次郎経営の「現代画廊」で番頭をしていたとき、「うづら」を売りたいと言って持ち込んで来た。洲之内は一目で惚れ込んだ。かつて田村は土門にこの絵を手離すときにはぜひ買わせて欲しいと申し出ていた。しかし、このとき「うづら」を見た田村は「死んだ鳥では売れないだろうな」とつぶやいた。洲之内はそれを耳にして自分が買えば絶対売らないと土門を説得する。ところが土門の妻が絵を売るなと言い出したということで絵は宙ぶらりんなまま現代画廊で預かることになった。しばらくして土門が画廊にやって来て、やはり売ると言う。応対した洲之内は田村には内緒で自分で買うことを決心し、土門を口説き落とした。この絵を買ったことは誰にも言わないつもりだったが、ある日、作者である鳥海青児の家へ遊びに行ってつい話してしまう。

《すると、傍で聞いていた美川きよさん[鳥海の妻]が、
「土門は怪しからんわねえ」
 と、少し気色ばんで言いだした。
 美川さんの言い分はこうである。土門さんの言うとおり、あの絵はずっと鎌倉の家の玄関に掛っていて、見るたびに土門さんが欲しがったが、鳥海さんはどうしても売るとは言わなかった。すると、とうとうしまいに、それでは貸してくれと言って持って行ったが、帰った後で見ると、座布団の下に五千円敷いてあった。
「いくらあたしたちが貧乏していても、あの絵を五千円では売りませんよ」
 と、美川さんは言い、
「だから、売るんだったら、うちへ返してこなければならないのよ」
 と言うのであった。
 鳥海さんのほうは笑って、
「そうは言っても、うちへ持ってきたんじゃ五千円だからなあ……、いくらだった?」
 と、私の顔を見た。
「十万円でした」
「どうだい、あの絵を俺に売らないか?」
 作者の鳥海さんにそう言われて、いやとは言いにくかったが、私は断った。
「そんな殺生な、ぼくはあの絵を買おうとして馘になりかかったんですよ、売るくらいならそんな無理はしませんよ」》

というような訳で「うづら」は以後ずっと洲之内の手許にとどめられた。結果、現在は宮城県美術館が所蔵している。

b0081843_1956299.jpg

美川きよ『夜のノートルダム』(中央公論社、一九七八年四月三〇日)をざっと読み返してみると、土門拳が二度ほど登場している(よく目を通せばもっと出ているかもしれませんが)。一度は、鳥海が美川の和服姿を二十号で二枚描いた翌日にやって来る。

《運悪く翌日、土門拳がひょっこり訪ねて来た。
「鳥海先生でも、やっぱり奥さんは奇麗に描くんだなあ」
「やーめた」
 鳥海はその二枚を乱暴に塗りつぶしてしまった。》

もう一度は、生活を作家である美川が支えていたので「髪結いの亭主」でいいのかと美川の方が心配になり、土門拳に売り展ではない個展を企画してくれるところを探して欲しいと頼むところ。土門は東京画郎で回顧展形式、求龍堂画廊で新作展を斡旋したという。

b0081843_19555576.jpg

麻布飯倉片町での鳥海と美川夫妻(『日本の名画・鳥海青児』講談社、一九七四年、下も同じ)。かつて島崎藤村が住んでいた隣の土地だった。鎌倉雪の下からここに移ったのは昭和二十七年。鳥海は「セザンヌが描きそうな所だな」と気に入ったという。当時はまだ各所に焼け野原の草茫茫の土地があった
ところが、いざ引越となって、運送トラック代の工面ができない。仕方なく八畳間一杯に積み上げてあった本を売った。

《古書、絵の本は手放したがらぬので、私の小説本を売り払った。トルストイ、バルザック、チェーホフ、ジイド、森鴎外、徳田秋声、恩師水上滝太郎の全集をも加えた。買える時が来たら、また買える。しばしの別れと、いさぎよく愛着を断ち切った。一万三千円に売れてトラック代は出た。》

全集にいちばん値段が付いた時代である。そのおかげか、この飯倉という新しい土地で鳥海は「畠」や「春の段々畠」などの力作を次々と生み出していった。
[PR]
by sumus_co | 2013-09-09 20:51 | 雲遅空想美術館

積み上げられたフランス小説

b0081843_2092338.jpg

フィンセント・ファン・ゴッホ「積み上げられたフランス小説」(一八八七年、ゴッホ美術館蔵)。パリ時代のゴッホをテーマにした展覧会に出ていた作品。本あるいは古本を描いた絵というのは昔からあった。ただし、それは、人物の持ち物、あるいは書斎の飾り、静物の中の構成要素などであって、本だけを描いた絵というのは案外と少ないものである。

その数少ない例外をゴッホが何点か描いている。ゴッホは読書家だったし、日記を見れば分かるように文章にも執念を見せていた。本を描いても不思議はない。ただ、ゴッホのこの構図を初めて目にしたとき、ちょっと異常な感じを受けた。乱雑に取散らかったテーブルのようなものの上の多数の本。実際に彼のパリの下宿がこうだった、というよりも、絵を描くために故意に乱雑に並べた、そのように思えたのだ。これもひとえにゴッホの幻視の力の成せる技かなあ、とこれまでは納得してきた。

ところが、この構図には先例があったのだ。先日パリから届いた荷物の中に『Collection Fritz Lugt』(Fondation Custodia, 1994)(オランダ人の蒐集家フリッツ・リュグのコレクション・カタログ)が入っていて、何気なくめくっているとこの絵が目に飛び込んできた。

b0081843_2091554.jpg

ヤン・ダーフィッツ・デ・ヘームが一六二八年に描いた「本の静物」である。右端に羽根ペンとインク壺、木組みの書架(?)も描かれてはいるものの、ほとんど画面一杯に古い書物が乱雑に積み上げられているだけの構図だ。デ・ヘームはチューリップや派手な花々と果物などをリアル(スーパーリアル)に描くオランダの画家だが、こんな仕事をしているとは知らなかった。

まず間違いなくゴッホはこの絵あるいは、この絵に類似した乱雑な書物をテーマとした作品を知っていたと思う。それを後期印象派、というよりもフォービスムの先取りのようなタッチで二百六十年後に蘇らせたのである。では、デ・ヘームはどうしてこんな構図を思いついたのだろうか? それはまた別に考えなければならないけれど、温故知新とはこういうことなのかもしれない。

b0081843_209342.jpg

そういうことで、直接の関係はないが、参考までに拙作も掲げておく。

もうひとつ、このリュグ・コレクションの図録には、ちょっとイケナイ作品も掲載されている。ルーベンス、ヴァン・ダイクあたりの素描だが、これはよろしくない。絵画などの蒐集には常につきまとうトラップである。どんなに目利きでもこれは逃れられないようだ。



読者の方より以下の記事についてご教示いただいた。古本柄の着物があった!

蟲日記 濫読着物
http://mushi-bunko-diary.seesaa.net/article/17707703.html
[PR]
by sumus_co | 2013-09-02 20:46 | 雲遅空想美術館

DADA

b0081843_2083634.jpg

昨日の荷物からもう一冊。『DADA』(Editions du Centre Pompidou, 2005)展の図録。この展覧会はパリ、ワシントン、ニューヨークと巡回したようだ。見たかったなあ〜と思うが、仕方がない。とにかく凄い図録が手に入って満足。千頁以上ある。ABC順に項目が並んでおり、ダダ百科事典のおもむきだ。年譜も備わっているし、これは使える。

b0081843_2082889.jpg

レイアウトにも工夫が凝らされ、だいたいこの手のカタログは凝り過ぎになる気味があるのだが、これは、まずまず見やすい方だ。表紙を開くとマン・レイの写真がお出迎え。栞代りのローズ・セラヴィの荷札「VOUS POUR MOI?」(荷札だから「おたく、ぼく宛?」とか?)。

b0081843_2082250.jpg

Jの項目には「JAPON」(日本)も立項されている。十九歳の高橋新吉が一九二〇年にトリスタン・ツァラの思想に触れて日本で初めてのダダイストを名乗った…云々というテキスト(Carole Benaiteau)があり、辻潤、村山知義らが紹介され、図版としては雑誌『MAVO』、高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』(中央美術社、一九二三年)、高橋新吉『ダダ』(内外書店、一九二四年)、萩原恭次郎『死刑宣告』(長隆舎書店、一九二五年)が掲載されている。

b0081843_2081532.jpg

マン・レイは二十八頁にわたって多面的な活動が紹介されている。デュシャンには三十頁、ジュヴィッタースには二十二頁ほどを費やしているのが目につく。まったく聞いたこともない作家も多い。また、クロノロジーもチューリッヒ(1914-1922)、ベルリン(1912-1925)、ハノーヴァ(1914-1924)、ケルン(1914-1922)、ニューヨーク(1913-1926)、パリ(1913-1925)と都市ごとに分けて細かく出来事を並べてくれている。

b0081843_208830.jpg

これは「PRESSE」(新聞)の項より『Le Petit Monde』一九二一年一一月一五日号の漫画。

 サロン・ドートンヌより戻って
 女子「やいこら、キュビスト!」
 男子「ほっといてくれ、ダダイスト!」

サロン・ドートンヌは秋の展覧会。積み木(キューブ)で遊ぶ男子をキュビストと呼ぶダダイスト女子は木馬(ダダ)にまたがっている……とこれはなかなかケッサクである。
[PR]
by sumus_co | 2013-08-29 21:14 | 雲遅空想美術館

江戸絵画の奇跡

b0081843_19255945.jpg

ミホ・ミュージアムへ。信楽の山中だけにもっと涼しいかと期待したが、予想したほどでもなく、やはり蒸し暑かった。とは言え、ずっと館内にいたのでどうということはないであるが。ミホ訪問は「長沢芦雪 奇は新なり」以来。まさに東北で震災が起こった日だった。時間が経つのは早い。

ファインバーグ・コレクション。江戸東京博物館でも開催されていた(お江戸では十万人の来場者があったという)。ベッツィーとロバートのファインバーグ夫妻が一九七〇年代以来四十年にわたって蒐集してきた主に江戸絵画の優品である(ドロシーとハーブの江戸絵画版?)。

当時、日本では室町絵画が最も高く評価されていたが、彼らには中国絵画の退屈な模倣としか写らなかったようだ。それよりもヴァラエティに富んだ江戸期の絵画が彼らを魅了した。何よりも圧倒的に市場に出回る数も多く、値段も安く(ひとえに日本人が省みないからである)、コレクションの対象としては、それらの作品に興味さえ持てれば、じつにおいしい分野であったと言えよう。

蒐集はほとんど日本で行われた。ロバートの執筆した図録の序文で謝辞の最初に来ているのは京都の美術商「柳」ファミリーである。アドヴァイザーとしては小林忠学習院大名誉教授。これは有機化学の研究者ロバートと障がい者教育を学んだベッツィーというインテリ夫妻が選んだ実に手堅い蒐集スタイルであろう。おのずからコレクションの質も想像できようというもの。

会場で画家のTさんとバッタリ。蕪村をはじめ江戸絵画に詳しい方で、いろいろお教えいただきながら、二巡ほど鑑賞した。例によって「どれを持って帰りますか?」という空想美術館ならではの質問がTさんより出た。Tさんは浦上玉堂の小振りな作品「老樹蕭春図」を指差す。「ちょうどいい大きさです」。一辺十五センチほどのサイズ。「山の黒く尖ったところが版画のドライポイントみたいだなといつも思うんです」とのこと。なるほど、なるほど。

b0081843_19255116.jpg


小生はこの池大雅「豊年多祥図」(三幅、図は中央の一幅)を選ぶ。樹木の幾何的な描写といい、色調の穏やかさ、人物の駘蕩とした感じ、池大雅のいい面が最もいい形で現れた作品のように思った。

b0081843_1925406.jpg


次点ということで作者不明「男舞図」。江戸初期の若衆歌舞伎を描いたものとされる。当時のジャニーズ系である。賛の出だしが読み難い……
b0081843_19253145.jpg

図録の作品解説が読んでくれていた(変体仮名は小生の補)。


 くもたる(久毛堂流)
   清水ニ
    かけみれハ(加希ミれハ)
 
 わか身なからも(王可身な可ら毛)
 よいをなこ
   し(志)ほらしや


この度は、ミニ・シャングリラから下界へ戻っても、とくにゆゆしい事件は勃発していなかった模様である。ひと安心。
[PR]
by sumus_co | 2013-07-19 20:29 | 雲遅空想美術館

村岡三郎死去

b0081843_20573767.jpg

村岡三郎さんが亡くなられた。関西の現代美術家のなかではもっとも好きな作家の一人だった。昔はよく展覧会を見に行ったものだ。昭和五十八年三月二十九日にギャリー16で個展を見たのは今でもよく憶えている。当時の日記より。

《マチエールのわずかな変化に対する敏感さ、形而上的なモチーフ。精神界での仕事である。しかし興味深いことにこの作者はしばらく入院していた時期が最近あり、病床でのあせりをこのように語ってくれた。「スケッチブックだけじゃだめなんだ、よけいに不満がつのってね……何かこうごちゃごちゃやってないと……(病室に)鉄もって来い! と言うわけにもいかないし……」この手仕事の触覚こそその精神界を造形化するこの作家の本質であろう。どの作品もよく練られたものであった。「塩水(気化)」というソーセージ状の鉛の作品もおもしろいと思う。》

個展会場で作家と会話を交わしていたようだ。すっかり忘れていた。ご冥福を祈ります。
[PR]
by sumus_co | 2013-07-06 21:07 | 雲遅空想美術館

野島康三

b0081843_1955688.jpg

芝川照吉コレクション展 青木繁・岸田劉生らを支えたコレクター」を京都国立近代美術館で見た。

芝川については佐野繁次郎の親戚であり、青年時代の佐野を可愛がり、影響を与えた人物としてこれまで何度も紹介してきたので繰り返さないけれども、展示内容は非常に良かった。岸田、青木はもちろん、富本憲吉がたくさん出ていた。工芸家の藤井達吉の重要なパトロンであったため芝川は藤井作品も多数所蔵していた。なかでは染織品が目立っていた。

駒蔵と照吉
http://sumus.exblog.jp/9694202/

芝川照吉コレクション(大阪市立美術館)
http://sumus.exblog.jp/9445855/

白樺派の画家たちと芝川照吉
http://sumus.exblog.jp/10769431/

芝川ビル
http://sumus.exblog.jp/9812311/

図録は用意されていなかった。出品目録だけ。渋谷区立松濤美術館で二〇〇五年に開かれた芝川照吉コレクション展の図録がほぼ完璧なできばえだったので、期待はしていなかったものの、少し物足りなかった。

驚いたのは常設展示である。いつも見慣れたモンドリアンやルドンもいいが、シュルレアリスム関連作品と資料(デュシャン、マン・レイ、シュヴィッタース、ハンナ・ヘッヒら)がまとめて中央入口側の四角部屋に並んでいるのも久し振りで嬉しかった。また村上華岳が、回顧展かと紛うくらい多く出ていたのも、予期しない目の正月だった。

また、いつも写真の展示場になっている奥の中央の長方形の部屋(ふつうは二つに仕切って別傾向の写真展示に分けている)が野島康三の虫干し展覧会になっていたのは有り難かった。「生誕120年 野島康三展——ある写真家が見た日本近代——」(京都国立近代美術館、一九九七年)を見逃していたので、こんなに沢山の野島作品に接したのは初めて(一九九四年に京近美へ寄贈されたコレクションである)。凄い。草土社と民芸と新興写真をつきまぜるとこうなりました、と言ってしまっては身も蓋もないけれど、そういったスタイル云々を乗り越えた野島自身の存在感が暑苦しいくらい発散されている。いろいろな意味で、ギリギリの感じがたまらん! 一階のショップで図録を購入してしまった(一九九七年のときのもの)。

新聞広告が頻繁だったためか、芝川照吉コレクション展の観覧者は思ったより多かった。けれども、ゆっくり鑑賞するのに邪魔になるほどではなく、それも有り難かった。

そうそう、七十歳くらいの女性が、ミュージアムショップで野島康三の葉書を買っていた。その女性はレジの女性に向かって
「この絵葉書の作品は展示されていましたか?」
と尋ねた。木立のなかを手をつないで歩く親子を背後から撮影した作品である。
「出ていると思いますけど……」
レジの女性は手許にあった常設展示の出品目録をめくっていたが、はっきりしないようだ。
「出ていると思いますよ。どうぞもう一度展示場へお出でください。半券を見せれば入っていただけますので」
小生もその作品が出ていたかどうか記憶がなかった。出ていなかったかもしれないなと思った。それにしてもレジの女性は目録を見たのにどうして確答できなかったのだろう? 

いぶかしく思ったまま帰宅して、今、同じ出品目録(プリント状のもの)を調べてみて分かった。多くの作品が題名不詳なのだ(親子の写真も)。これでははっきり答えようがないはずである。
[PR]
by sumus_co | 2013-05-24 20:54 | 雲遅空想美術館

アントニオ・ロペス

b0081843_20133146.jpg

アントニオ・ロペスの日本での初個展がザ・ミュージアムで開かれている。長崎と岩手へ巡回するだけで関西方面には来ないらしい。そこで東京在住の方にいち早く図録を送っていただいた。

ロペスは一九三六年スペインのトメリョソ(マドリードの南方約150kmに位置する町)生まれ。マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーを卒業して画業一筋に打ち込んでいるリアリズムの画家である。若い頃は写実に物語性を持ち込んだような作風だったが、六〇年代頃から実物を丹念に描写し、付加的な要素を画面に持ち込まなくなった。

ヨーロッパの写実というのは写実そのものよりも、リアルさに幻想性を加味することによって、写実と絵空事が和音あるいは不協和音を奏でることを意図するのが主流である。例えばダリを思い浮かべてもらえばいい、リアルな、しかし在り得ない世界。ベタな写実は十九世紀で終わった、とそういった考えなのかもしれない。現在でもあまり変らないと思う。フランスで言うならば、バンド・デシネ(劇画)がまさにその潮流を体現している。

ロペスは目前に置いた静物や人物を淡々と描く。巨大なキャンバス(パネルに張った画布)を路上やビルの屋上に設置して、長時間かけて都市風景を描く。ただそれだけでありながら、そこには当たり前の細密なリアリズムとは全く違う一種独特の世界が構築されている。

ロペスを分類するとすれば、おそらくポップ・アートに振り分けるのが適当であろう。その視点でロペスの作品群を眺めれば、トイレの便器とか冷蔵庫とか変哲もない都市風景とか、ポップ・アートの作家と同じ態度で現実世界に接し、それを作品として造形化していることが分かる。

b0081843_20132492.jpg

ロペスを知ったのは美術雑誌だったろうか。実物を初めて見たのは一九八九年につかしんホールで開かれた「スペイン20世紀美術展」だった。緻密な素描「バスルーム」はよく覚えている。細密な作家は日本にも外国にもたくさんいるけれども、何か違う、硬質で繊細な本質に肉薄するものがあるように思えた。

一九九一年の「スペイン美術はいま マドリード・リアリスムの輝き」には絵画七点と彫刻が来日した(図録による)。ロペスの出品は小回顧のような構成で、今この図録と比較しても遜色のない選択である。このとき同時にグスタボ・イソエ(磯江毅)も知ったわけだから、この展覧会の意義は大きかった。

上の静物画はそのときも来ていて今回も出ている。「花を生けたコップと壁(花を差したコップと壁)」(一九六五)、壁とテーブルが併置されていて、まだ何かデペイズマン(違和感)を試みようとしている。好きな作品だ。

一九九二年、ビクトル・エリセ監督が「マルメロの陽光」というロペスの日常を描いた映画を公開した。ロペスが庭にある一本のマルメロを描く、そのプロセスをドキュメンタリー風に撮っている。九三年五月六日(奇しくも!)、梅田のロフト地下シアターウメダ1で上映されたので、これは逃してはならぬと出かけて行った。後日買ったのがこのDVD。

b0081843_20113822.jpg

六十席ほどの小さな上映室だった。ふとみると旧知のSさん(現在、国際美術館におられる)が来ているではないか。小生の日記から映画の感想を引用してみる。

《ロペスがマルメロという果樹(手づから植えた)がたわわに実をつけているのを描くために、アトリエへ入り、大きなパネルにキャンバスを張るところから始まる。既製品の木枠を組み立て、ベニヤ板を切って、なんと、釘で木枠に打ちつける。そして、そこへ既製品のキャンバスを張っておしまい。けっこうイージー。
 つぎにマルメロ樹(そんなにまだ大きくない)の両側に、金属のポールを1本ずつ立て、糸をわたし、その中心から鉛垂をつけた糸を降ろして、垂直の目印とする。そしてうしろの煉瓦べいにやはり、白ペンキで横線の目印をつける。そして、マルメロの実や葉にも白いポスタカラー(?)で印をつけてゆく。
 次にキャンバスを三脚のイーゼルにのせて、足の位置を決め、そこのつま先の部分に小さな金属の杭を埋めこむ。これで目線が固定された。しかし、それにしても、ちょっと樹に近すぎるように思われる。》

金属の釘でベニヤを打ち付けてその上にキャンバスを張ると、日本ならまず間違いなく釘が錆びてキャンバスへ錆が移ってくる。日本ではできない方法だ(スペインでもやっちゃ駄目でしょう)。映画では、結局、天気が悪くなって(十一月なので)絵を完成できなかった(この未完成のマルメロも本展に来ているようだ)。Sさんと上映終了後、昼飯を食べながら雑談。

《マルメロの評価については、ちょっと苦しむということ。たしかに、ちょっと中途半端かもしれない》

拙著『帰らざる風景』に「マルメロの陽光」というエッセイを収録してあるのでご興味のある方は参照してくだされ。
[PR]
by sumus_co | 2013-05-06 21:25 | 雲遅空想美術館

Balthus The Painter

b0081843_20121866.jpg

バルテュス展のチラシ、一九九四年に東京ステーションギャラリーで開催されたときのもの。小生、これは逃しているが、一九八四年の日本初回顧展を京都市美術館で見たときの印象は今でも鮮明だ。それ以前、一九七六年にルーブル美術館でバルチュスの実物を初めて見た。たしかピカソからの寄贈作品だった、少年と少女がテーブルの廻りでポーズしている大きな作品「子供たち」(一九三七)が展示されいて、そのときルーブルで見た作品のなかでももっともショッキングな絵画のひとつだった(おそらく事前に知っていて見に行ったのかとも思うが、記憶が曖昧、ルーブル宮でもいちばん端の方のガランとして誰も見学者のいない部屋にあった、現在はどうなっているのか知らないが)。

とにかく戦前の諸作はノイエザハリッヒカイトの影響を受けて(ルシアン・フロイドと非常に近いように思う)、さらにやや演出過剰なところも目につくが、スレスレのエロティシスムはバルテュスならではの潔癖さを保った希有な仕事であろう。ところが戦後になると、モチベーションはかなり下がってしまう。フレスコ風の画肌も成功しているとは思えない。さほど感心できる作品はないように思う(この点ではルシアン・フロイドの戦後の充実ぶりとはまったく逆である)。

b0081843_201232.jpg

先日も紹介した画家のKさんから「バルテュス Balthus The Painter」(マーク・カイデル監督、BBC, Eurospace、1996)をお借りした。ヴェネチアでの大回顧展を軸にしてバルテュスの生涯と作品を紹介しつつ、本人、妻、モデル、息子などのインタビューで構成されており、見ていて面白く、また内容的にもよくまとまっていた。なかでも勝新太郎がバルテュスを訪問して女形やヤクザの仕草をしてみせる場面は傑作だ。

バルテュス&勝新太郎 Balthus&Shintaro Katsu

b0081843_20114023.jpg
バルテュスにインタビューしているイヴァン・ド・ラ・フレサンジュなる青年が誰なのか知らない。検索してみたのだが、彼の姉はイネス・ド・ラ・フレサンジュで一九八〇年代に活躍したフランスのトップ・モデル、その後、シャネルのアドヴァイザー、『マリ・クレール』のジャーナリストとなった有名人である。父方の祖父が侯爵だそうだ。

b0081843_20112771.jpg
いちばん注目した場面はここ。ジャコメティがまったく認められていなかった頃に、ジャコメッティのアトリエでほめたらくれたのだというブロンズ像、を説明しているところだが、注目は壁にかかっている絵の方。

b0081843_20111955.jpg
モランディではないですか! バルテュスはフィレンツェのヴィラ・メディチの館長を長らく(たしか十八年間)勤めていたそうだ。その頃にピエロ・デラ・フランチェスカなどイタリアのフレスコ画の影響を強く受けたのだろう。その時代、モランディに接触していたか(?)、あるいはとにかく作品を所持していたことはこの映像から確実である。無骨な自画像など、二人に共通するところなきにしもあらず。

b0081843_2011141.jpg


b0081843_20105377.jpg

バルテュスのアトリエ。乱雑というほどでもないが、パレットは汚い派である。
[PR]
by sumus_co | 2013-04-29 21:17 | 雲遅空想美術館

MISUZU CALENDAR 1991

b0081843_20332264.jpg

「MISUZU CALENDAR 1991」(みすず書房)を入手した。表紙に少し汚れがあるが、その分安買ったように思う。八点の作品を収録。ペン画、水彩、バーント・ドローイング、デカルコマニーなど瀧口のテクニックと表現の幅を味わえるようにうまく案配されていると言えよう。この年から一九九八年にかけてみすず書房は『コレクション瀧口修造』を発行するのだから、ある意味、当然のカレンダーである。

b0081843_20331651.jpg


b0081843_20331087.jpg


b0081843_2033378.jpg

表紙裏に瀧口のエッセイ「私も描く」(初出は『芸術新潮』一九六一年五月)が再録されており、これがまた、描くという素直な衝動が伝わってくるいい文章なので嬉しくなる。

《昨年(一九六〇年)三月、私はふとスケッチブックを買ってきて机の上に置いた。
 私はだいたい書くことが遅く、いつもブランクの原稿用紙が机の上にくるしそうに身をさらしていることが多い。そんなときに、このマス目のある紙と、スケッチブックの白紙との対照はいかにも印象的である。そのようなある日のこと、私のなかにくすぶっていた欲求のひとつが身をもたげてきたらしい。
 文字ではない、しかし何かの形を表そうというのでもない線、この同じ万年筆を動かしながら、ともかくも線をひきはじめた。最初はただの棒線であった。それから、どこか震えるような線、戸惑う線、くるしげにくびれ、はじける線、海岸線のように境界をつくろうとする線、つっぱしる線、甘えるような線、あてのない、いやはや他愛のない線、そんなものが幾冊かの帳面を埋めた。》

《先日サム・フランシスは私の「作品」を見るなり「自画像!」といったものである。
 この簡潔な評語。それは私自身よりもよくもなければ、わるくもないという意味にもとれるだろう。ぶ厚い絵画の壁が私の前にひしめいている。臆せず手を動かそう。前進しよう。行動の自由。ごく小さな行動でも「自由」が必要である。》

一九六〇年三月、瀧口は五十七歳である(正確には五十六歳ニヶ月余)。奇しくも現在の小生とほぼ同じ年齢。まだまだ、何だってやり始めるのに遅くはない、ぞ、と(自らに言い聞かせる)。



東京 ローズ・セラヴィ
http://sumus.exblog.jp/19738773/

私の心臓は時を刻む
http://sumus.exblog.jp/19278433/

橄欖 第二号
http://sumus.exblog.jp/18600071/

海外超現実主義作品集
http://sumus.exblog.jp/13541064/

瀧口修造の光跡 I「美というもの」
http://sumus.exblog.jp/11477898/
[PR]
by sumus_co | 2013-04-04 21:07 | 雲遅空想美術館

もうひとつの川村清雄展

b0081843_19415523.jpg

『もうひとつの川村清雄展 加島虎吉と青木藤作・二つのコレクション』(目黒区美術館、二〇一二年一〇月二〇日)を借覧している。川村清雄の代表作は「形見の直垂(虫干)」のようだが、個人的には断片的な作品しか印象になく、どういう作家なのかよく知らなかった。この図録は江戸東京博物館で同時期に開催された川村清雄展に合わせて目黒区美術館および那珂川町馬頭広重美術館の二つのコレクションで構成された展覧会のもの。しかしこれだけでも、おおよそのところは理解できる。川村については鏑木清方が次のように評しているのが的を得ているようだ。

《川村氏は明治期洋画家界の先駆者で、油絵の是真と云はれ、油彩で抱一から是真、省亭と伝はつた江戸好みの工芸趣味を特色とした人で、鮮麗な色彩と渋い味はひとを巧みに調和させた特異な存在だつた》(岩切信一郎「装幀意匠家・川村清雄」より)

本展の特色は装幀意匠に焦点を当てていること。川村は雑誌『新小説』(春陽堂)や『新婦人』(至誠堂)の表紙画を手がけ、大正三年頃まで五十点以上の単行本の装幀を行っており、それがまた、鏑木の言葉通りの渋派手な江戸好みの工芸趣味、ロコツな和洋折衷が何とも面白い。今どきの作家で比較すれば、ひょっとして村上隆かも(!)

b0081843_19414759.jpg


b0081843_19414182.jpg


b0081843_19413586.jpg

川村のパトロンでもあった至誠堂の加島虎吉は出版界ではなかなかのやり手だったようだ。

b0081843_2065736.jpg

加島は明治四年一月十日に但馬の国(兵庫県)豊岡に生まれた。御用商人の家に育ったと言われ、早くに上京して勉学しつつ石屋の小僧などもやり、夜店の本屋からたたきあげて書店界へ足を踏み入れたという。明治二十七年頃に古本・貸本業を始め、二十八年には日本橋区人形町に「至誠堂」を創業している。明治三十二年、新本・雑誌の取次・販売を開始。

明治四十一年頃(四十二年?)、日本橋本石町に新社屋を設立して出版業にも手を拡げた。処女出版は同郷の経済学者・和田垣謙三の『青年諸君』(一九〇九年)、これがよく売れた。本図録には百六十点以上の至誠堂の刊行物がリストアップされているが、手堅い辞書などの実用書を柱としつつ、大町桂月、村上浪六、渡辺霞亭らの作家や渋川玄耳、三宅雪嶺らジャーナリストの本もかなり出している。明治末から大正にかけての重要な版元の一つであろう。

ところが、大正十二年の関東大震災で痛手を被り、大正十四年には倒産の憂き目を見た。その後、取次部門を大誠堂としたが、これも大東館へと再編されてしまう(東京堂・東海堂・北隆館とともに四代取次時代に突入)。加島はしかし自宅で出版業を続けていたようで、少なくとも昭和四年までの出版物は確認することができるようだ。昭和九年歿。

誠文堂の小川菊松は至誠堂の番頭を勤めていた。小川菊松『出版興亡五十年史』(誠文堂新光社、一九五三年)および『回顧五十年 藤井誠治郎遺稿』(藤井誠治郎遺稿回顧五十年刊行会、一九六二年)に至誠堂の草創期についての情報が盛られているということである。
[PR]
by sumus_co | 2013-03-30 20:51 | 雲遅空想美術館