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林蘊蓄斎の文画な日々
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カテゴリ:雲遅空想美術館
  • 与謝野晶子とミュシャ
    [ 2012-05-22 20:55 ]
  • フェルメールを求めて 追加
    [ 2012-05-21 21:13 ]
  • 神坂雪佳の短冊
    [ 2012-05-17 19:45 ]
  • フェルメールを求めて
    [ 2012-05-15 21:33 ]
  • ○△□
    [ 2012-05-15 17:07 ]
  • 村山知義の宇宙展図録
    [ 2012-05-07 20:13 ]
  • 光風
    [ 2012-05-03 17:37 ]
  • 竹久夢二「寂しき食卓」
    [ 2012-04-29 17:31 ]
  • 天門美術館
    [ 2012-04-28 21:04 ]
  • Joseph Beuys
    [ 2012-04-25 21:18 ]
与謝野晶子とミュシャ

堺市の与謝野晶子文芸館で宇崎純一展を開催することが決定した。

上は同館所蔵のアルフォンス・ミュシャによるミュシャ展のポスター(同館パンフレット『与謝野晶子とミュシャ』より)。パリのボナパルト通りにあったレオン・デシャン(Léon Deschamps)の雑誌『ラ・プリュム La Plume』の社屋に設けられたホールで一八九七年に開催された。ポスター上部に大書されている「サロン・デ・サン SALON DES CENT」はデシャンが主催した美術展である。一八八四年から一九〇〇年までの七年間で五十三回開かれている。そのうちのひとつがミュシャ展だったわけだ。このとき『ラ・プリュム』はミュシャ特集号も出している。

『ラ・プリュム』(羽、羽根ペンの意味)は象徴派の流れにのった芸術至上主義の雑誌で一八八九年創刊。ヴェルレーヌ、モレアス、ラフォルグ、レオン・ブロワ、マラルメなどの執筆によってたちまち人気を博した。表紙や挿絵にはフォラン、トゥールーズ・ロートレック、モーリス・ドニ、ゴーギャン、ピサロ、シニャック、スーラ、ルドンなどを登用している。一八九九年にカール・ボエ(Karl Boès)に受け継がれて一九一四年まで続いた。

以下はフェルメールとレンブラントではないけれど、『明星』の表紙や挿絵とミュシャとの関係、というかパクリの数々。左が『明星』、右がミュシャ。

晶子が鉄幹の後を追ってパリを訪問したのは『明星』終刊の年一九〇八(明治四十一年)。ストレートなパリ愛しの歌を残している。

 ああ皐月仏蘭西の野は火の色す
   君も雛罌粟(ココリコ)われも雛罌粟

 三千里わが恋人のかたはらに
   柳の絮(わた)の散る日に来(きた)る

 物売にわれもならまし初夏の
   シヤンゼリゼエの青き木のもと

このパンフを繰っていて、与謝野夫妻の間には六男六女があったことを知った。どこかの元知事・現市長さんも顔負けだ。その十二人の子供たちの名前がまたすごい。光、秀(しげる)、八峰、七瀬、鱗、佐保子、宇智子、アウギュスト、エレンヌ、健、寸(そん)、藤子。おやまあ、何と言うか、親の思想の変遷が分かるような名前の付け方ではないか。なおアウギュスト(後に昱[いく]と改名)以外の漢字一文字が男子である。



by sumus_co | 2012-05-22 20:55 | 雲遅空想美術館 | Trackback | Comments(0)
フェルメールを求めて 追加



先日のフェルメールによるレンブラントからの構図借用の例で図版を掲げなかったものを。フェルメール「地理学者」(一六六九?)とレンブラント「秘伝を追求する学者(ファウスト)」(一六四九?)。

フェルメールを求めて
http://sumus.exblog.jp/18295503/
by sumus_co | 2012-05-21 21:13 | 雲遅空想美術館 | Trackback | Comments(0)
神坂雪佳の短冊

少し前に求めた短冊を調べていると「おや?」という署名に出会った。「雪佳」と読める。雪佳というと神坂雪佳(1866-1942)しか思い当たらないけれども、先年大きな回顧展もあった雪佳にしては南画ふうの地味な絵柄で画風が違いすぎる。その回顧展も見たはずだが、こういう絵が出ていたかどうか記憶にない。いずれ図録を調べてみよう(いずれがいつになるか分からないが)。ま、とにかく雪佳の略歴を検索してみた。すると

《京都御所警護の武士・神坂吉重の長男として、幕末の京都・栗田口(現・京都市栗田口)に生まれる。1881年(明治14年)、16歳で四条派の日本画家・鈴木瑞彦に師事して絵画を学び、装飾芸術への関心を高めたのちの1890年(明治23年)には図案家・岸光景に師事し、工芸意匠図案を学ぶ。》(ウィキ)

初めは絵を学んだというから、若書きならあり得るか。ただしその師匠とされる鈴木瑞彦の画風が分からない。瑞彦は塩川文麟の弟子だから四条派に連なるものだろう。とすれば南画ふうというわけでもない。この短冊は構図の取り方……うす墨の山を天の際から下へ向かってさっと掃き、樹木を左脇へ寄せておいて、わら家を奥にのぞかせた……は神坂雪佳の琳派ふうのデザイン・センスに通じないとは言えないようにも思う。通じないとは言えないとは歯切れの悪い表現ながら、そういうところでとどめておくのがよろしい。印章は「吉隆」(雪佳の本名)と読めるようにも思えるので、それならなお好都合なのであるが。

雪佳の代表的な作品画像を引用しておく。





芸艸堂 神坂雪佳『百々世草』
http://winds-unsodo.shop-pro.jp/?mode=f2
by sumus_co | 2012-05-17 19:45 | 雲遅空想美術館 | Trackback | Comments(2)
フェルメールを求めて

プルースト『失われた時を求めて2』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、二〇一一年)を読了した。スワンの千々に乱れる恋心にはそうとう手こずらされたが「土地の名・名」へ移ると、次なる展開に期待が見えてきた、ふう、まだまだ読めるぞ。

プルーストがフェルメール好きだったことはよく知られている。高遠氏は註のなかでこう書いておられる。

《一八六六年、フランスの美術批評家トレ・ビュルガーが発表したフェルメール作品目録によって再び世に知られるようになった。現存する作品はわずか三十数点。ゴンクール兄弟などもフェルメールに触れているが、フェルメールが世界的に有名になったのは、じつはプルーストの力だという。『失われた時を求めて』のなかでフェルメールに再三触れたこと、また、書翰で、「フェルメールは二十歳のころから、私がもっとも好きな画家なのです」とか「デン・ハーグの美術館で『デルフトの眺望』を見たときから、私は、世界で一番美しい絵を見たのだということがわかりました」といったように情熱的に記していることも与って大きいというのだ。》(p37)

高遠新訳第二巻所収「スワンの恋」にフェルメールの名前は五度登場する(と思う)。例えば

《少なくとも何日かは、デン・ハーグとドレスデンとフラウンシュヴァイクに赴く必要があった。ゴールドシュミットの売り立てで、ニコラス・マースの作品としてマウリツハイス美術館が購入した『ディアナの化粧[ディアナとニンフたち]』の本当の作者はフェルメールであるとスワンは確信していた。その確信をいっそう確かなものにするために、直接作品を調べられればと思ったのだ。》

とスワンの鑑識眼が披露されているくだり。このマウリツハイス美術館には「デルフトの眺望」「真珠の首飾りの少女」「ダイアナとニンフたち」の三点が所蔵されている。プルーストは実際に一八九八年十月と一九〇二年十月にオランダを訪れ、「デルフトの眺望」などに深い感銘を覚えた。ただし「真珠の首飾りの少女」は一九〇二年にコレクターだったデス・トンブが遺贈したもの(非常に安価に入手したという)だそうで、プルーストの訪問時に「真珠の首飾りの少女」が展示されていたのか、いなかったのかは分からない。

フェルメールの小さな画集を出して見ていると、これは拙著『帰らざる風景』(みずのわ出版、二〇〇五年)にも書いてあるが、レンブラントからの構図の借用がいくつもあるのに気づく(なにしろ総点数が少ないので確率としてはかなり高い)。


まず「兵士と笑う女」(一六五八?)の陰影を強調した構図はレンブラントの「エマオのキリスト」(一六三一)とほぼ同じ。左右逆転させただけだ。



フェルメール「天文学者」(一六六八)はレンブラント「ホメロスの胸像の前に立つアリストテレス」(一六五三)とほぼ同じポーズ。もう一点の似たような絵「地理学者」においてもフェルメールはレンブラントの銅版画「ファウスト博士」を手本にしたようだ。



そしてウィーンにある大作「絵画芸術」(一六七三?)のモデルの女性はレンブラント「フローラに扮するサスキア」(一六三四)とほぼ同じ立ち姿。イーゼルに向かう画家の方もたしかレンブラントに同じような若書きの自画像があったように思う(今すぐ図版が出て来ないので省略)。

もちろんレンブラント以外にもテル・ボルフ、ヘラルド・ダウ、ピーテル・デ・ホーホら同時代の画家たちの構図やポーズを参考にしているわけだが(だからこそ無名時代にはそれらの画家の作品と間違われたりしてきたのだが)、画の品格というものは図抜けていて、レンブラントと比較してもまったく遜色はない。プルーストが世界一好きだという理由がよく分かる。それなのに長らく忘れ去れていたとは、世間の評価などまったく当てにならないということの証拠以外の何ものでもない。

もうひとつ画集を眺めていて思い出した。「牛乳を注ぐ女」(一六五八〜九)のテーブルの形が変だなどという指摘があって、わざわざCGでテーブルを真っすぐに直した図像を作って美術雑誌に載せたりしているのを見たことがある。しかし、それは大きな誤解であろう。このテーブルの天板はもともと長方形ではないのだ。フェルメールのデッサンがおかしいのではない。



「眠る女」(一六五六〜七)に描かれた奥の部屋にテーブルが置かれている。台形なのである。おそらく(断言はしないが)これと同じテーブルにパンなどが載っている。そう思って見れば「牛乳を注ぐ女」には何もおかしいところはないだろう。

昔、いろいろと検討を重ねたときのメモがその小さな画集(『新潮美術文庫13フェルメール』、一九七五年)に挟んであった。タイルのパターンを数えたり、タイルの配置から部屋の構造を推測したりしている。今ではそれこそCGで研究され尽くしているようなことであろう。それにしても、このタイルの模様だけを考えても、フェルメールという画家、一筋縄ではいかないヤツである。

by sumus_co | 2012-05-15 21:33 | 雲遅空想美術館 | Trackback | Comments(0)
○△□

出光美術館の絵葉書、仙厓「○△□」を頂戴した。この絵のタイトルが英語に翻訳されている。それが「The Universe」。左の文字は「扶桑最初禅窟」(解説を見ないで読めたのは「初」だけ!)、そして「仙厓」印。

《満月のように円満な悟道の境地に至る修行の階梯を図示したとも、この世の存在すべてを三つの図形に代表させ、「大宇宙」を小画面に凝縮させたともいわれ、その解釈には諸説ある。》(出光コレクション 仙厓

諸説あるなら「The Universe」はどうなのか。「○△□」でいいじゃなか。

by sumus_co | 2012-05-15 17:07 | 雲遅空想美術館 | Trackback | Comments(0)
村山知義の宇宙展図録

「すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙」展より村山のコラージュ作品「ニイッディー・イムペコーフェンに依つて踊られたる"御意のまま"」(1922-23)。ニイッディー・イムペコーフェンは村山がベルリンのドイツ劇場で一九二二年九月末から十月初めごろに観て惚れ込んだダンサーの名前、ニッディー・イムペコーフェン(NIDDY IMPEKOVEN)。彼女の写真も展示されていた。

左上『デア・シュトゥルム DER STURM』十三巻二号(一九二二、表紙画=ルイ・マルクーシ)、右上『デア・シュトゥルム DER STURM』十三巻六号(一九二二、表紙画=ペーリ・ラースロー)、左下、カシャーク・ラヨシュ、モホイ=ナジ・ラースロー『新しい芸術家の書』(一九二二)、右下『第一回ロシア美術展』カタログ(一九二二、一九六二年復刻版)。ベルリンに村山が到着した時期の芸術の動向を示す書籍類。

左上・中『マヴォ』第五号出版予告・申込書(一九二五)、右上『マ MA』四巻五号(一九一九)、中左『ノイ noi』3/4号(一九二三)、中中『ヘット・オヴァージヒト HET OVERZICHT』(一九二五)、中右『ゼニート ZENIT』(一九二五)、下左『インテグラル INTEGRAL』(一九二五)、下右『デ・ステイル DE STIJL』七巻七七号(一九二六)。帰国後の村山らが始めた雑誌『MAVO』と交換したりもしたという同時代の海外雑誌。

エーリヒ・ヴィーゼ『アレキサンダー・アーキペンコ』(一九二三)。村山がデア・シュトゥルム画廊を通して知り、影響を受けたというアーキペンコ。この同じシリーズの本を以前このブログで紹介したことがある。

『GUSTAAF DE SMET』JUNGE KUNST BAND 38
http://sumus.exblog.jp/6196307/

「村山知義の意識的構成主義的第3回展覧会」目録。《喫茶店 鈴蘭にて/東京小石川東青柳町六・音羽護国寺前》という記述に注目!

「MAVO」と縁の深い小石川・護国寺前の「カフェー鈴蘭」
http://sumus.exblog.jp/17940119/

以上、個人的な興味に従って気になった図版を紹介しただけだが、見飽きない図録である。

by sumus_co | 2012-05-07 20:13 | 雲遅空想美術館 | Trackback | Comments(3)
光風

四天王寺で求めた短冊。光風と読めるが、光風では作者を特定できそうもない。絵のタッチや紙質からして、そう古い物ではなかろう。いちおう読んでみるが、自信はないので、ご教示いただきたく。

  春の午
   ふるゝと(堂)軽き
       歩みか(閑)な(那)


by sumus_co | 2012-05-03 17:37 | 雲遅空想美術館 | Trackback | Comments(0)
竹久夢二「寂しき食卓」



昨日の嬉しい収穫はこの一枚のボロボロな絵葉書。絵は《竹久夢二氏筆 寂しき食卓》、切手面には《郵便ハガキ 東京九段つるや画房 POST CARD》と印刷されており《日本橋 8.6.21 后9-10》の消印がある。つるや画房は「月刊夢二絵はがき」の版元で九段の他に東京牛込早稲田鶴巻町四三にもあったようだ(詳しくはコメント欄をご覧下さい)。

竹久夢二と静岡ゆかりの美術』展図録(静岡市美術館、二〇一二年一月七日)にはつるや画房製の絵葉書が三十枚ほど収録されていて参考になる。ただしこの絵葉書は含まれていない。「寂しき食卓」で検索してみると下記の論文がヒットした。

Kwansei Gakuin University Repository
夢二とキリスト教 : 「竹久夢二抒情画展覧会」(1918年) をめぐって
小嶋洋子


大正七年四月十一日から二十一日まで京都の府立図書館で「竹久夢二抒情画展覧会」が開かれた(五月には神戸のキリスト教青年会館へ巡回している)。京都での展覧会は大正元年についで二度目であった。その目録が存在しているようで(金沢湯湧夢二館蔵)、出品目録から《会場が第一室,第二室,第三室という三つの部屋から構成されていたこと,そして各部屋の展示作品数が,第一室には 29 作品, 第二室には 41 作品,第三室には 12 作品であったことがわかる》そうだ。小嶋女史によれば「寂しき食卓」は

《第二室の作品は,《椅子によれる女》,《舞姫》など,なかには一連の「抒情画展覧会ハガキ」(2)で作品を確認できるものもあるが,どのような作品であったのか不明なものが多い。
 そんななかで,目録に図版が掲載されている作品《寂しき食卓》(図 1)では,テーブルでパンを切ろうとする女性の奥の壁に聖女の絵がかけられている。キリスト教を想起させる画面ではあるが,第一室のような南蛮趣味といったような特徴は見られない。》

そしてここで図1として紹介されている「寂しき食卓」のモノクロ図版はこの絵葉書とほぼ同一作品だと考えていいようだ。ほぼ、というのは、図録では右が少し切れていて、絵葉書にはっきり見える夢二マークと年号が消えているからである。ただし、あるいはマークも年号も図録の時点では書き込まれていなかったのかもしれない(図録の写真を撮影するときに、よくあることだが、絵が完成していなかったか)。

その可能性は「APL 1918」という記入それ自体が物語っている。展覧会が四月十一日からなのに四月のサインというのは、ギリギリに仕上がった(サインを入れた)証拠であろう。図録には間に合わないはずである。というわけで、新発見(?)の夢二絵葉書ではないかと思う次第である。

切手面の文字を読んでおく。まず宛名と発信(一文字不明)。

  新潟県
  刈羽郡正明寺
  巻口泰蔵様

  東京にて
    □三

通信の全文。

  泰蔵様此の間御手紙どうも
  有難ふ、その後は御変り
  もございませんか、ずつと前に
  無量寺へ行つたら泰蔵様
  は学校で手をケガしたそう
  ですがどんなになつたのですか、
  泰蔵様があんまり元気な
  手紙を下さるのですから私は
  そんな事忘れて居ました、
  何が何でも体が一番大切
  ですから体を大切にして
  御勉強なさい、
       さよなら、

新潟県刈羽郡刈羽村正明寺は越後線荒浜駅近くの地名。柏崎刈羽原子力発電所から数キロ南方である。無量寺は新潟市北区にある寺だろうか? 


by sumus_co | 2012-04-29 17:31 | 雲遅空想美術館 | Trackback | Comments(6)
天門美術館

四天王寺からの帰途、京阪電車で寄り道。特例財団法人天門美術館。先日の高津神社の会合で「池田遊子と知られざる日本絵画〜女性の美」展の案内状をいただいたのだが、都合がつかず、終了間際にやっとのぞくことができた。島成園、松本華羊、山川秀峰(案内状の絵の作者)など大阪を中心とした美人画の世界が楽しめる。美術館の設立者である池田遊子の彫刻作品も多数展示されている。明日29日まで。お近くの方、ぜひお運びいただきたい。枚方市駅から歩くと十五分くらいはかかりますが、バスなら直ぐです。

枚方市の山之上北町に「天門美術館」があります。
http://plaza.rakuten.co.jp/tanukidiary/diary/201001040000/

美術館敷地内への入り口。駐車場あり。

美術館へのアプローチ。緑のなかに池田遊子の石彫などが配置されている。


by sumus_co | 2012-04-28 21:04 | 雲遅空想美術館 | Trackback | Comments(0)
Joseph Beuys

抽き出しの奥から出て来た絵葉書。一九九八年十月、学芸員のSiさんからもらった。「Infiltration Homogen für Cello」(1965-85)。

ヨーゼフ・ボイスについては一九八〇年のデュッセルドルフで何点かの作品を見たはっきりした記憶がある。とは言うものの、さてそれがどこだったか、旅日記を調べてみたのだが、書かれていなかった。まだマイナーな作家だったのだろう。美術史的にはその前年の一九七九年にニューヨーク市のグッゲンハイム美術館で大規模回顧展が開かれたことによって現代美術の巨匠の一人に仲間入りしたわけだが、小生は同時代美術についてはアンテナを立てていなかったので知らなかった。日本では西武美術館が一九八四年に回顧展を開いてようやく一般の美術ファンにも知られるようになったと言っていいと思う(むろんその展示は大津西武で見たはずだ)。

おそらくKunstsammlug(美術館)だったかな、とも思うのだが、公園のなかに位置しており、別館のようなところに同時代美術家の作品を集めた展示場があった(今HPを覗くと、すごく立派な建物になっている)。そこで常設展示として植松圭二らの作品とともに何点か並んでいた、と覚えている。ただし日記にはジャスパー・ジョーンズとポロックとモディリアニを見たことしか書き留められていないのだ。若かったなあ。

それはそれとして、久しぶりに開いた滞在記には、当時の雰囲気が濃厚に漂っているので少しばかり引用しておく。八月二十三日朝、アムステルダムを列車で出発した。

《三時間弱でデュッセルドルフ。両替、食事、ポスト、インフォ、と行ってオーハラさんに電話、四時にもう一度して欲しいということで五時に日航ホテルで待ち合わせ。郊外のアパートへおじゃまする。引越したばかりで少々片づいてないがきれいで広く約八万円くらい。そこで一息いれた後、毛布とマットを取りに彼の友人宅へ。ドイツ人の修復仲間の女性のアパート。東独の作家の作品がいくつか修復中。良いのなし。そののちケイジ・ウエマツさんのアトリエでマットをもらう。そこへちょうどノダさんという人が来ていたが版画家のノダさん。ウエマツさんは、九月四日からミュンヘンの美術館(カンディンスキーのコレクションで有名だとか)で個展をしてもらうとか。》

野田哲也と植松圭二のお二人にこんな形で出会っていたとは! このとき植松さんが写真の個展を開いたのはレンバッハ・ギャラリー(この後ミュンヘンへ行ってこの個展を見た)。デュッセルドルフは日本人も多く、住みやすい街だと言われていたが、日本人アーティストも多かったようだ。

《夜、オハラさんの友だちなどと食事。シラカワ氏(立体作家でデュッセルが世界から選んだ十三人の立体作家のなかに選ばれたそうで、ストラスブルグで哲学を学んだ後美術転向、パリ等でアカデミィへかよいデュッセルでまたアカデミィへ行っているそうだ)、もうひとりはアマギ氏、ムサビの彫刻を出ている私と同窓生で、Seさんを知っていた。ところがもっと縁が深いことにシラカワ氏はパリで私と油絵で同級生だったNaと知り合っており、彼からドイツの学校を探して欲しいと頼まれたこともあるそうだ。世の中、広いようで狭い。》

検索してみると、シラカワ氏というのは白川昌生氏のことのようである。《1981年ドイツ国立デュッセルドルフ美術大学卒業》となっているから間違いないだろう。

結局、オハラ家には四泊させてもらった(親子三人)。どういう知り合いだったか? 忘れてしまった。誰かにデュッセルに行ったら訪ねたらいいよ、などと言われたのだろう、このとき初対面だったことだけは確かである。何年か経って帰国しておられると聞いたが、このとき以来お会いしていない。その節は、お世話になりました。

by sumus_co | 2012-04-25 21:18 | 雲遅空想美術館 | Trackback | Comments(2)