林蘊蓄斎の文画な日々
by sumus_co
カテゴリ
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
京のお茶漬け
東京アレコレ日記
佐野繁次郎資料
宇崎純一資料
渡邊一夫の本
青山二郎の本
spin news
読む人
パリ古本日記
写真日乗
あちこち古本ツアー
装幀=林哲夫
著述関連
画家・林哲夫
雲遅空想美術館
淀野隆三関連
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
貧乏こっとう
ほんのシネマ
以前の記事
2017年 03月
2016年 11月
2016年 01月
2014年 02月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
more...
フォロー中のブログ
フランス落書き帳
フランス美食村
退屈男と本と街
ニューヨークの遊び方
gyuのバルセロナ便り ...
奥成達資料室blog版
空ヲ洗フ日々 十谷あとり
浅生ハルミンの『私は猫ス...
古書渉猟日誌
bookbar5
わたしつくるひと
猫額洞の日々
トスカーナ オリーブの丘...
フォロニアム
昨日の続き
モンガの西荻日記
往来座地下
天音堂★山口ヒロミ工房_...
NabeQuest(na...
フランス古道具 ウブダシ
Mの日記@古本T「たまに...
日常と夢の記憶
Gallery Shim...
and so on...
亡兎観現世
石のコトバ
ボローニャに暮らす
糸巻きパレットガーデン
Kumatetsu Ga...
Muntkidy
Lenzgesind
奈良 智林堂書店  
うらたじゅんの道草日記
高遠弘美の休み時間・再開...
ネジ式
さし絵のサイン
机の上で旅をしよう(マッ...
森のことば、ことばの森
新潟絵屋Blog
オックスフォード便り
白 の 余 白
Madame100gの不...
ツレヅレナルママニ(みど...
関西の出版社
めぐり逢うことばたち
古本万歩計
りはびりカメラ
ムッシュKの日々の便り
Books & Things
ちらしDMコレクション
ネコと文学と猫ブンガク
daily-sumus2
最新のコメント
今はネット古書行脚でしょ..
by sumus2013 at 20:41
学生時代は、カンダの古本..
by 根保孝栄・石塚邦男 at 07:34
御教示に深謝です。蓜島氏..
by sumus_co at 08:37
「『正誤正刪『日本近代文..
by MY at 11:05
了解いたしました。
by sumus_co at 08:30
神谷様 御教示に深謝いた..
by sumus2013 at 20:06
神谷道一と神谷由道は親子..
by 神谷 at 15:59
kikiさま コンドルで..
by sumus_co at 15:53
ジャン・コクトーだなぁ。..
by 根保孝栄・石塚邦男 at 06:59
先日来、調べごとをし..
by kaguragawa at 22:13
メモ帳
お問い合わせはこちらまで

本を散歩する雑誌 [スムース]
洲之内徹略年譜
『書肆アクセスの本』
ほんまに日記
恵文社一乗寺店
Calo Bookshop & Cafe
貸本喫茶ちょうちょぼっこ
BOOKONN
奥付検印紙日録
とらんぷ堂
書肆砂の書
みずのわ編集室
みずのわ放送局
エエジャナイカ
蟲文庫
古書日月堂
海月書林
田中栞日記
古書の森日記
日用帳
なえ日記
lady pippon
古書現世店番日記
海ねこ的日々の暮し
m.r.factory
ナンダロウアヤシゲな日々
内澤旬子・空礫絵日記
四谷書房日録
森茉莉街道をゆく
ねこそぎ記念
本の街日記
リコシェ
旅猫雑貨店
津田明人
北方人日記
柳居子徒然
駅前糸脈
日々のあわ.。o○
晩鮭亭日常
空想書店書肆紅屋
bibliomaine mod
autographes et …
BiblioMab
Le blog de Yv
Le Monde
Gibert Joseph
bnf
BRITISH LIBRARY
Galaxidion
Library of Congress
Strand Bookstore
The Book Design Review
penguin blog
Mark Simonson Studio
modernmechanix
くうざん本を見る
神保町系オタオタ日記
ma-tango
jun-jun1965
書物蔵
スローラーナー
本はねころんで
漁書日誌
城戸朱理
町家古本はんのき
古書ダンデライオン
Kanecoの日記
吉岡実の詩の世界
qfwfqの水に流して
古本屋ツアー
清水哲男
Automat svět
細馬宏通
中野晴行
古通・編集長日誌
昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板
喫茶・輪 
古本ときどき音楽
本と暮らす
ウロボロスの回転
表現急行
tundowの日記
盛林堂日記
フクヘン
ですぺら
花森安治の装釘世界
文壇高円寺
ぶろぐ・とふん
medievalbooks
マン・レイと余白で
okatakeの日記
古本ソムリエの日記
最新のトラックバック
京都印刷発祥之地 記念碑建立
from 印刷見聞録|からふね屋|京都
本を散歩する雑誌 [スム..
from 相互に旅をする人
土曜日のブックオフ
from 古本万歩計
[書評][詩歌に寄せるエ..
from 読書百篇
第33回西荻ブックマーク
from 西荻ブックマーク
北野武似の少年は夏休み、..
from 月の風ノート
【ライト兄弟】についてブ..
from 最新キーワードチェック!
『田辺茂一と新宿文化の担..
from じんぶんや「紀伊國屋書店と新宿」
美の名言
from 美の名言
横尾忠則の小説
from Mの日記@古本T「たまにはス..
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:青山二郎の本( 31 )

甲陽選書

b0081843_2051992.jpg

《偶々、甲陽書房という出版社から本を取り寄せたところ、同封の書皮?が巻かれてありました。「意匠青山二郎」とありますけれども、何だかおとなしい?》という御手紙とともに御恵投いただいた。たしかに青山にしてはきちんとおさまりすぎているようだ。

甲陽書房
http://tokyo.koyoshobo.jp/ 
[PR]
by sumus_co | 2012-05-24 20:08 | 青山二郎の本

真贋

b0081843_2041961.jpg

青山二郎と創元社は小林秀雄のつながりだった。では、小林と青山はいつどこで知り合ったのか。『青山二郎全文集』(ちくま学芸文庫、二〇〇三年)の年譜(森孝一編)によれば、一九二四年二十三歳のころだったようだ。

《石丸重治宅で小林秀雄を知る。石丸は柳宗悦の甥に当たり、小林とは府立一中の同級生、この頃、小林は三日にあげず石丸家に遊びに来ていた。この頃から、朝鮮のやきものに興味をもち始め、柳宗悦に頻繁に会う。一二月、石丸が主宰の同人雑誌『山繭』の発刊に加わる。》

河上徹太郎「青山二郎と『陶経』」(青山二郎『鎌倉文士骨董奇譚』講談社文芸文庫、一九九二年より。初出は『週刊読書人』一九六四年七月〜九月)にはこう書かれている。

《「山繭[やままゆ]」という雑誌は、小林秀雄や永井龍男が拠り、富永太郎や中原中也が寄稿していたので、今では文学史的存在だが、これは大体今慶応の教授をしている石丸重治の道楽雑誌で、彼がイギリスの美術雑誌からチューダー・ハウスやウインザー・チェアの写真を転載し、それを紹介した記事が主だった。》

《石丸は中学で私の一つ下、小林と同級だったが、柳宗悦氏の甥で、それでハイカラな下手物趣味を持っていた訳だが、そんなところから浜田庄司氏や青山二郎がこのグループに接近していったと見ていいのだろう。
 青山は当時最初の奥さんを亡くしたばかりで、追惜の情に駆られていた。》

小林は当時から青山の文章を《肉体があるから》といって河上に読むように薦めたという。小林は民芸グループの若者たちをこういうふうに見ていたそうだ。

《浜田庄司の土瓶で番茶を廻し飲みするんだ。みんな感心して持ち上げておケツを覗いたりするんだが、いざ茶碗へついで見ると、お茶が口から垂れて、うまくつげねえんだ。それから茶碗の糸口も平じゃないもので、カタコト卓子の上へ坐らないのさ。おかしいよ》

こういうなかなか皮肉な観察をしていた小林が骨董に手を出したのは、青山が《創元社が四谷から神田に越して、床の間に飾る花瓶が欲しいと言うので「壷中居」へ案内した》(青山二郎「小林秀雄と三十年」)ときに小林も一緒についてきて、《鉄砂でねぎ坊主の様な画が簡単に描いてある》徳利を、青山が買わないかと持ちかけると、即座に買った。それが初めだそうだ。

大谷晃一によれば、四谷から神田(神田区三崎町二丁目四番地)に創元社が移転したのは昭和十五年十一月である。森孝一『青山二郎の素顔』(里文出版、一九九七年)には壷中居の主人広田煕が「御附合いは確か昭和十三年頃からです」と書いているとあるから、あるいは青山の文章は神田へ移ったではなく、四谷へ移転した頃なのかもしれない。むろん断定はできないが。

小林の「真贋」という文章には《子供の時から焼き物が好きな御蔭で、中学も卒業できなかったという男》青山二郎が《私に焼き物を教えた》と書いている。ある時、小林は鎌倉で呉須赤絵の見事な大皿を見つけて買った。

《私の初めての買物で、呉須赤絵がどうこういう知識もあろう筈はなく、たゞ胸をドキドキさせて持ち還り、東京で青山に話すと、図柄や値段を聞いただけで、馬鹿と言った。見る必要もないと言う。》

「初めての買物」と書いてある。青山の言葉と矛盾するが、好意的に解釈して、これは自分で買った初めてという意味なのだろうとしておく。とにかく小林は納得できず、実物を青山に見せた。すると、思った通りだとさんざん絞られる。しかしどうしても納得できない。何度見直しても《心に沁みる様に美しい》。意を決して《青山に数度連れて行かれた》壷中居で広田氏に見てもらった。

《彼は箱を開けてちょいと覗き、直ぐ蓋をして、詰まらなさそうに紐をかけ、これはいゝですよ、と言った。》

小林は急に気が緩んでぼんやりしてしまった。

《青山が、どうしてあの時あんな間違いをしたか、今だにわからない。》

と書く小林だが、これは真贋の問題ではない。「小林秀雄と三十年」にはこう書かれている。

《手を出し始めた一二年が、小林の苦業時代だった。》《朝鮮の物から入って行く様に私の方で注意していた。模様の面白さは今に自然に解って来るし、当分ねぎ坊主一本で沢山という遣り方だった。だから小林は無地の後から模様のある物に入ったのである。赤絵なぞに手を出す様になったのはもっと後だから、大体遣り方が人と逆だった。》

赤絵をダメと青山が初心の小林を絞ったのはこいう理由だった。「真贋」ではこの赤絵の皿を壷中居に買い取ってもらう。これは話の流れとしては少しおかしくないだろうか。いや、青山の教育法が効果を発揮したという証明かもしれない。

b0081843_2040574.jpg
青山が『新潮』に「小林秀雄と三十年」を発表した。それを読んだ小林から青山への感想の葉書と手紙。森孝一『青山二郎の素顔』より。
[PR]
by sumus_co | 2012-03-06 21:26 | 青山二郎の本

ある出版人の肖像

b0081843_2092967.jpg

大谷晃一『ある出版人の肖像 矢部良策と創元社』(創元社、一九八八年一二月一日、装丁=倉本修)。創元社と青山二郎の関係の始まりはどういうものだったかな? と思って取り出してみた。

b0081843_2034820.jpg
同書口絵写真より。青山二郎は後列右から二番目。後列左から四番目が小林茂(東京支店長、後、東京創元社社長)、五番目が矢部良策(社長)、六番目が岡村政司(東京支店編集者)。前列、右手、コートで膝を隠しているのが小林秀雄。

昭和十一年に東京支店は芝区二本榎西町の小林茂宅から独立して赤坂区仲ノ町十五へ移転した。十二月に北条民雄の『いのちの初夜』を出版する。

《小林茂がこれを手に入れたのは、「文学界」同人だった小林秀雄の尽力による。このときに、彼は創元社の顧問になった。週に一日出社する。》

小林秀雄と創元社の関係は山崎安雄『著者と出版社』(学風書院、一九五四年)によれば昭和九年ごろにさかのぼる。

《初代編集長の岡村政司氏が、小林さんの原稿をもらつたことにはじまるが、そうして知り合つたある日、小林茂社長は、当時あまり有名でもなかつた小林(秀雄)さんを、銀座の某料亭に招待した。約束の時間よりやや早く到着した小林社長は、小林さんの見えるまでと思つて、通された座敷で横になつた。夏のことで、疲れてもいたのであろう、ついウトウトとまどろんだ。おくれてやつて来た小林さんは、独りでビールを飲みはじめた。社長はなかなか起きそうにもない。そのうち酔いがまわつてきたのであろうか、いやカンにさわつたのであろう。小林さんはやおら身を起すや、かたわらに軽いイビキをかく小林社長の頭から、ドクドクとビールをそそぎかけたものである。》

小林社長(当時は支店長)はびっくりして飛び起きた。ばかやろう、いつまで寝てやがんでぃ(と言ったとは書かれていないけれども、芝白金今里町生まれなので。小林茂も同年同地域の出身)と秀雄に怒鳴られて、礼儀を失したことを手をついて謝ったそうだ。やんちゃな秀雄くんとクリスチャンでまじめ一本の茂さんは、このときから仲良くなりました、ということらしい。

昭和十二年には四谷区愛住町十九番地の小林茂宅へ東京支店は再び移転。そこへ小林秀雄の紹介で大岡昇平がアラン『スタンダアル』の翻訳を持参した。昭和十三年にはやはり小林秀雄の持ち込みで中原中也『在りし日の歌』を刊行した。装幀はもちろん青山二郎。このあたりから、創元社を食い物にした(?)となじられるのだろうが、けっして売れない本ではなかった。『いのちの初夜』はよく売れているし、その縁で川端康成の『雪国』も出版できた。『在りし日の歌』も再版が出ている(初版が少なすぎたのだろうが)。そしてきわめつけは創元選書である。小林秀雄らの発案だった。

創元選書
http://sumus.exblog.jp/13401066/

ということでこれも青山二郎の意匠であるが、『ある出版人の肖像』によれば、昭和十五年、

《青山二郎が「会社の隅に机を一つ置いてもらえまいか」と申し入れ、週に二日か三日は気ままに出勤する。叢書の他に単行本の数もふえ、その多くを青山が装丁した。他に佐野繁次郎と恩地孝四郎に頼む。青山のは、新鮮で滋味にあふれ、本屋の店頭で生彩を放つ。
 小林秀雄は明治大学の講義をすまして週に一度は創元社に顔を出し、青山が居あわせると楽しそうに連れ立って夕景の町へ消えてゆく。
 この年から東京で「創元」と題する月報の発行をはじめた。三十ページばかりのPR誌である。》

というように創元社東京支店と小林・青山の関係はたいへん良好だったようである。それもこれもビールぶっかけのおかげなのだった。
[PR]
by sumus_co | 2012-03-05 20:11 | 青山二郎の本

創元

b0081843_21475716.jpg

『書影でたどる関西の出版100』で函および表紙に使わせてもらったマークはこの創元社のPR誌『創元』から引用した。一巻五号(一九四〇年八月一五日)と一巻七号(一九四〇年一一月一五日)だけかろうじて架蔵している。250×137mm という変型だが、なかなかカッコいい。

『創元』の表紙が誰とは書かれていないが、むろんカットなども含め青山二郎だろう(『関西の出版100』では装丁者の表示に青山二郎と肩を並べて小生の名前を印刷するようにレイアウトした。青山ファンの密かな幸せ。自作自演ともいう)。後に(いつからだろう?)『創元』はすでに紹介したようにA5判になる。

http://sumus.exblog.jp/7428413/
http://sumus.exblog.jp/7424226/

なお、この鸚鵡(?)は、青山二郎のデザインにはよく見られることだが、古美術品から借用されている。中国(?)の硯にそのモデルがあった。
b0081843_21474726.jpg

八月号をパラパラめくっていると、いろいろ面白いことが書いてある。三好達治が会津八一『鹿鳴集』の書評を書いている、というか、ほめたたえているのだが、その冒頭に《会津八一秋艸道人を実は私は今日までどういふ作者かいつかうに不案内でゐた》と書いてある。昭和十五年、会津八一は還暦だ。無名だった? なるほど、要するに早稲田の教員でしかなかったというわけか。『鹿鳴集』によって歌人としての地位を確かなものにした。

今日出海が「「多忙の弁」に答ふ」という近況文で「はせ川」のことを書いている。

《出雲橋「はせ川」は維新の祇園のやうに、荒文士が毎夜集つて議論をしてゐる。静かに飲んでゐると寒々とするからか、道場のやうに修業してゐる様は凄まじい。》

そしてきわめつけは水野亮の「長野図書館ー信濃の思出ー」。長野市の西の外れの県会議事堂の鉄柵に突き当たる少し手前の右手に図書館があった。古びた木造二階建だったが、貧乏な家に育ったという水野はそこへいつも胸をときめかせて通ったそうだ。

《定石どほり階下が書庫、二階が閲覧室になつてゐて、借覧用紙に型どほりの事柄を書いて差出すと、閲覧室の片隅の狭い区画に陣どつてゐる係員が、おもむろに立ち上つて、階下の書庫と連絡を取つてくれる。驚いたことに、係員の座席のうしろに三尺四尺方ぐらゐの穴があいてゐて、遠くから覗き込むと、階下の書架の一部が見える。ガラガラと釣瓶仕掛けで本がその穴から上つてくる。今なら間違いなく吹き出すところだが、その時分はおかしがるどころの段ではなく、さうした仕掛けそのものが何か高尚に思はれ、上と下の係員の詰らなささうな合図の掛け声といつしよに、飽つ気なくセリ上つてくる本を、ひどく厳粛な気持で見守つたものだ。》

明治三十五年生まれの水野が小学生の頃だそうだから、大正初年頃の話だろうか。つるべ式の書庫というのが目に見えるようである。
[PR]
by sumus_co | 2012-03-01 22:45 | 青山二郎の本

スパゲッティ・ジャンクション

b0081843_179660.jpg


b0081843_1785398.jpg


題 名=スパゲッティ・ジャンクション
発 行=一九九五年一一月三〇日第一刷発行
著 者=澤嶋優
発行者=若菜正
印刷所=凸版印刷
発行所=集英社
装 画=青山二郎
装 幀=多田進
タテ=195mm

写真はカバーと表紙1

東美アートフェアの会場で多田進さんとお会いした。お茶席がたいへん混雑(茶道具の店が多かったため)していたので食堂(といっても百畳敷?の大広間)で少しお話できた。仕事場の本が増えすぎたので少し整理されているそうだ。ということで、かつて多田さんが青山二郎の意匠を使って装幀された二冊の本を頂戴した。多謝。
[PR]
by sumus_co | 2011-10-22 17:17 | 青山二郎の本

晴のち曇、所により大雨

b0081843_16505365.jpg


b0081843_16504417.jpg


題 名=晴のち曇、所により大雨 回想の石川淳
発 行=一九九三年十一月一日第一刷発行
著 者=石川活
発行者=森本政彦
印刷所=明和印刷
発行所=筑摩書房
装 画=青山二郎
装 幀=多田進
タテ=195mm

「男の嫉妬ーーあとがきに代えて」という一文で著者が青山二郎(ジィちゃん)について語っている。

《ジィちゃんとは、日本橋の寿司春でよくお眼にかかりました。お会いするたびに頻りに、「おい、青山学園に入らないか」と誘われました。"青山学園"というのは、ジィちゃんの周囲にいつの間にか形づくられた、一種のサロンのようなものであったらしい。らしいというのは、自分で望みながら私はついにこの学園に入ることかなわなかったからです。
「青山学園って、入っていったい何をするんですか」
「何しろ入ればいいのさ。ふいとやって来て、飲んでいればいいんだよ」
 ジィちゃんはこんな風にいうだけでした。》

《私は、じつは青山学園に入りたかった。気持ちはすでに入園[二字傍点]するつもりでいたのでした。ところが、私のほんのちょっとした不注意[三字傍点]からそれが不可能になったのでした。
 あるとき私が、食事の会話のすさびに、「ジィちゃんて、一本筋が通っていて、なかなか魅力のある人ねえ」と、たった一とこと言ったのが間違いのもと。突然石川は不興気まるだしの顔で席を立ってしまって、以後私はジィちゃんに会わせてもらえなくなってしまったのです。》

《このたび、はからずも故二郎氏の未亡人和子さんにお眼にかかることができ、ジィちゃんが書き遺された美しい絵を貸していただき、装幀に用いることが許されました。私にとってこんなに嬉しく幸せなことはありません。この場を借りてジィちゃんと和子さんに心から感謝申し上げます。
「ジィちゃん、ほんとうにありがとうございます」》
[PR]
by sumus_co | 2011-10-22 17:07 | 青山二郎の本

アントン・パーヴロヸッチ・チェーホフ著作集

b0081843_19533626.jpg


b0081843_19532554.jpg

『アントン・パーヴロヸッチ・チェーホフ著作集第四卷』(中村白葉訳、三学書房、一九四四年二月一一日、装幀=青山二郎)。国会図書館で検索すると次のような全集版があるらしい。

・チエホフ全集一〜九 大正八〜十五 新潮社 秋庭俊彦、広津和郎、中村白葉
・チェホフ全集十 昭和三 新潮社 温浅芳(湯浅芳子)
・チェーホフ全集一〜十八 昭和九〜十一 金星堂 中村白葉
・チェーホフ著作集[六冊] 昭和十八〜十九 三学書房 中村白葉
・チェーホフ全集一〜十六 昭和三十五〜三十六 中央公論社 神西清、池田健太郎、原卓也
・同 再訂版 昭和五十〜五十二
・チェーホフ全集一〜十二 一九八七〜八八 筑摩書房 松下裕
・同 ちくま文庫 一九九三〜九四

三学書房版著作集は国会図書館に第四、七、九、十一、十二、十六巻と所蔵されており、webcat も同じなのでおそらく六冊だけしか刊行されなかったのだろう(?)。ただ中村白葉訳の開成館版も六冊(同じ巻数)が昭和十八年に出ていたことが分かった。「著作集」としてあるように金星堂版全集とは構成が違っているようだ。いずれにせよ戦時下の出版事情はよく分からない。

先日、チェーホフを読み直したいと書いた。そこで、とにかく手近の本をと思って、この著作集を取出したわけだけれど、実際に読んだのは岩波文庫版である。神西清訳『決闘・妻』(一九三八年四刷)、湯浅芳子『三姉妹』(一九七五年五〇刷)、『かもめ』(一九八〇年二九刷)。チェーホフが相当な人気作家だったというのは全集が次々出ていることでも想像できるのだが、昭和二年、岩波文庫の創刊ラインナップにも二冊入っている(米川正夫訳『桜の園』『伯父ワーニャ』)。

「決闘」はチェーホフではもっとも長篇だとのこと。デカダンな主人公とお人好しの医者と厳格な動物学者の取り合わせが妙ですらすら読めたが、それにしても久しぶりで読んだロシア文学、例によって登場人物の名前を覚えるのが一苦労だった。神西清はかなりの名訳者と思う。

《朝の八時といへば、士官や役人や避暑客連中が蒸暑かつた前夜の汗を落しに海にひと浸[つか]りして、やがてお茶か珈琲でも飲みに茶亭[パヴイリオン]へ寄る時刻である。イヴァン・アンドレーイチ・ライェフスキイといふ二十八ほどの、痩せぎすな淡色髪[ブロンド]の青年が、大蔵省の制帽をかぶりスリッパをひつかけて一浴びしに来てみると、もう浜には知合ひ連中が大分あつまつてゐた。そのなかに、日ごろから親しい軍医のサモイレンコもゐた。》

《この茶亭をサモイレンコはわが家同様に心得て、茶碗などもちやんと自用のが備へつけてある。毎朝彼に出る盆には、珈琲が一杯、背の高い切籠[キリコ]のコップにアイスウォーターが一杯、コニヤックが一杯ときまつてゐた。彼はまづコニヤックをぐつとやり、それから熱い珈琲を飲み、それからアイスウォーターを飲む。それが堪らなく旨いのであらう、そのあとではきまつてとろんとした眼つきになつて、両手で頬髭を撫で、ぢつと海に見入りながら言うのだつた。
「実に何ともいへぬ眺めだ。」》

「喫茶店の時代」のメモとして引用してみた。
[PR]
by sumus_co | 2011-06-02 21:30 | 青山二郎の本

木印

b0081843_18241067.jpg


b0081843_1824018.jpg


b0081843_18235169.jpg


b0081843_18233870.jpg


b0081843_18232976.jpg

[PR]
by sumus_co | 2011-03-06 18:24 | 青山二郎の本

創元 第二輯

明日から十日ほどブログを休みます。

b0081843_1633519.jpg

『創元』第二輯(創元社、一九四八年一一月三〇日、装幀=青山二郎)。奥付では《編輯者 小林秀雄》となっているが、どうも青山二郎の方が熱心だったのではないかと思えるふしもある。第一輯に青山が梅原龍三郎について、第二輯では富岡鉄斎特集ついて書いているというのも(それも巻頭扱い)常識破りだと思う。

b0081843_16325625.jpg

鉄斎の作品図版の他に鉄斎用印が章扉などにいくつも朱色で刷られており、非常に華やかな感じを与えている。ただしこの幸田露伴の句集を飾っている印は青山二郎の作。思わず、ひときわ楽しげにこういうレイアウトを考案している青山の姿を想像してしまう。

b0081843_16324445.jpg

『別冊太陽 青山二郎の眼』(平凡社、一九九四年一〇月二二日)にその木製の印が載っていた。装幀にもこれらを使っている。李朝の陶磁器や民芸に詳しい青山だから、おそらく韓国の木製の印(たぶん陶器を装飾するために使ったものだろうか)を青山流に作り直しているように思われる。
[PR]
by sumus_co | 2011-02-23 17:02 | 青山二郎の本

二葉亭四迷論

b0081843_1531072.jpg


題 名=二葉亭四迷論
発 行=昭和22年10月10日
著 者=中村光夫
発行者=濱田キミ
印刷者=森下笑吉
発行所=進路社
東京都中央区槙町三ノ七
装 幀=青山二郎
タ テ=185mm
註 記=
[PR]
by sumus_co | 2010-07-31 15:33 | 青山二郎の本