『植草甚一 ぼくたちの大好きなおじさん』(晶文社、二〇〇八年、装丁=小田島等、カバー画=テリー・ジョンスン)。カバー画テリー・ジョンスンはむろん湯村輝彦。生誕100年を記念して出版されたらしい。明治四十一年(1908)八月八日生れ、獅子座だ。目次に、浅生ハルミン、岡崎武志、荻原魚雷、近代ナリコという名前が見えるのはうれしいね。
でもやっぱり目玉は「Voice of J.J 植草甚一の声」というCD。ちょっと甲高い声でニューヨークのことなどを喋っている植草と、奥さんの話しが少々。植草は古本のことを「ふるぼん」(furu-bon)と発音している。ケッサクは奥さんの植草評。
「大人じゃないんですよ」
「だだっ子といっしょですよ」
「子供のころにちゃんとしつけられてたら、そんなふうにならなかった」
「はためいわくですよ」
「ルンペンかニコヨンみたいなもの」
他には、読みもしないのにたくさん本を買ってくることも批難の対象である。いずこも同じ……。奥さんは京都の人だと聞いたが、たしかに京ふうのなまりが残っている。それがみょうに耳に痛いかんじ。
内容もあちこち拾いよみしてみると、けっこう面白い。インパクトがあったのはロングインタビュー「植草甚一の秘密」、そこでこんな発言を見つけた。『宝島』の責任編集者としての役割について、植草が横から口を出さないと語ったとき、司会がそれを受けて《天皇陛下みたいのものです。象徴なんです》と言うと、
《植草 ぼくの時代では天皇陛下っていうのは下町では誰も言わなかったですね。天ちゃん天ちゃんて言ってました。》《神棚はありましたけど、天ちゃんの写真なんかは、どこの家にもありませんでしたね》
「天ちゃん」って凄くないか。大正時代の話? 下町と言っているのは生まれた場所、東京日本橋小網町あたりだろう。知らなかったなあ。
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明日からは、楽しい楽しい下鴨納涼古本まつり。「ところで納涼って、なんだ?」という質問にお答えしておく。涼を納(い)れる、すなわち「すずむ」という意味。すでに中国最古の詩篇『詩経』(三千年前の歌謡曲歌詞集である)では、徐陵によって「納涼高樹下」と用いられている。高い樹の下で涼むとは、下鴨にピッタリ!