林蘊蓄斎の文画な日々
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無名作家R氏の弁

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林芙美子『浅草ぐらし』(実業之日本社、一九四八年七月十五日、装幀=佐野繁次郎)。某氏より「『spin』03に載っていない佐野本があるんですけど、買ってもらえませんか?」と言われて、即座に「買います!」と答えたのだが、それが今日届いた。

『spin』03なら8ページ目に入れるべき表紙で、予め分かっていれば、ぜったいカラー図版にしたと思う。書かれているフランス語は何か出典があるのかもしれない。

 RUBÉFIANT 
 SOUT LE VENT(正しくは SOUS LE VENT)
 PACIFIQUE

「平和の風に頬を赤らめながら」とでも訳すのだろうか。フランスのウィキによれば、sous le vent は船舶用語で「風をいっぱいにはらんだ帆の下」。他にはゲランの香水の名前、ス・ル・ヴァン群島(仏領ポリネシア、および中米アンティーユ諸島に同名の群島がある)、セリーヌ・ディオンとガルーが歌った曲の名、だそうだ。

内容は林芙美子の短編集で、ざっとタイトルを見ると「無名作家R氏の弁」というのが面白そうだったので読んでみた。貧乏文士の日常をサッと叙述しているだけだが、原稿料の具体的な記述が参考になる。

《一緒になつて二日位もすると、
「いつたいどれ位収入があるの?」
 と、訊くのであつた。
「いくら位と云つて、月、四五百枚は原稿を書くよ」
「まア素敵! 四百枚としても一枚五円としたら、まア二千円ぢやないのウ……」
「だつて君反古も出来るよ」
「ぢやア半分反古になつたつて千円ぢやない?」
「そンなになるもンか!」
「ぢやア八百円位?」
「いゝや」
「ぢやア六百円位?」
「うゝん」
「まア、ぢやア三四百円位にはなるンでせうねえ?」
「どうしてどうして……」
「あらア二百円位……」
「うゝん」
「ぢやア一足飛びに七十円?」
「僕の頭脳を君はそんなに信用するのかね」
「おやまア! ぢやアこれきりよ、三十円はかせぐでせう?」
「どういたしまして」
「まア、ぢやア無収入なの?」
「さうだよ」
  [略]
「たまには売れることもあるにはあるさ、だけど、一枚の値段が安いのだからねえ……」
「いくら? 五銭なの十銭位?」
 彼女もけつして高い方から競つてはゆかなかつた。
「うん、一枚三十銭で売るンだよ」
「まア、何て失礼なんでせうねえ、菊池寛つて文士は一枚五十円位つて云ふぢやないの、貴方のが三十銭だなんて、まア可哀想だわ……」》

この他に《化粧品問屋で出している大衆雑誌で、夏の増刊号に私の小唄が載つてゐるのであつた。/「あゝあれ、そうね、五円はどうかしら、三円位はくれさうね」》とか《私は考えてもゐなかつた実話小説の懸賞に一等当選したのであつた。懸賞金は三百円となつてゐる。私はこの時位地球が愉しく考へられたことはない》とぬか喜びして、いざ雑誌社に出かけてみると《卓上にならべられた金は結局七十円で、百枚書いたあの原稿の事を考へると、まア貰ふだけでもと、案外腰が弱くて、社を出ると、私は私に腹が立つのであつた。あと二百三十円はどうしても貰はねばならぬ》と思ったりするのである。七十円を持ち帰ってみると、大家から立ち退きを催促されていて、親子三人蒲団すらない荷物をかかえ借家を出、深川の木賃宿に泊まる。
「ねえ、七十円も懐にあるかと思ふと、随分心丈夫ね」
とのんきな妻であった。

文中に「十銭スタンド」と出るので、昭和十年前後であろうか。一円は現在の三〜五千円程度だろう。

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ボアソナードタワー
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by sumus_co | 2008-03-22 21:18 | 古書日録
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