『日本演劇』4巻10号(日本演劇社、一九四六年十二月)。天神さんの百均で。表紙画は岡鹿之助。藤田嗣治の影響下に岡はスタートしたのだが、この絵などは藤田と違ってまったく不器用というか、よく言えばナイーフな感じに捨て難い味がある。同年九月号の後記にこう書かれている。
《今月は春陽会の岡鹿之助画伯に書いていただいた。岡氏は故岡鬼太郎先生の嗣子であられる。在仏二十年、鬼太郎先生の歿せられる二年程前に帰つて来られた。日本演劇社は初代社長として岡先生を迎へたのだし、いはば御縁が深いのである》
岡鬼太郎が歿したのは昭和十八年。岡鹿之助がバリからもどったのは昭和十四年、滯仏十五年だったようだ。まったくいいかげんな後記である。
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昨日の『JAZZ』を拾い読みする。鈴木勲がエルビンとはじめて新宿の「タロー」で一緒に演奏したときのことを回想しているのが傑作だった。一九六六年、エルビンはアート・ブレイキーらと日本にやって来てマリファナ事件で留置され、麻薬取締法違反で懲役六ヶ月、執行猶予二年の判決を受けた。エルビン自身の言葉によれば、アンソニー・ウィリアムズの供述によって無実のエルビンが有罪になったのだという(この時点では再入国は望めないと書かれているが、実際には後年来日している)。釈放されて出て来たエルビンは一人だけ日本に残されて、ジャズ喫茶で演奏して稼がなければ帰国できない状態だった。
《六時頃からやるんで俺は五時半頃行ったのよ。そしたらエルビンが一人、ポツンと居るだけで客は誰も居ない。さみしそうにして、ばかにしょげちゃって一人で坐っているのよ》《異国でさあ、知らないメンバーとやってさあ、なんかさみしくなっちゃったんじゃないかと思うんだ。ちょうどかかっていたレコードがジョン・コルトレーンの「センチメンタル・ムード」。じっと聞きながらボロボロ涙ながしちゃってんだよ》
このあと鈴木はエルビンにスパゲッティをおごるが、三杯たいらげてビックリ。演奏をはじめたらパンチが違った。
《何しろ外人の人とやったのが初めてだったし、もう必死よ。目があいていても先は見えないってやつよ。相手がエルビン・ジョーンズだからね。酒もすごく飲むけど、音楽やり出したら酒どころじゃないよ。とにかくものすごい力でさ、おまけに楽器が悪いから、パーンと叩いたらバスドラがビューンとすっ飛んじゃったり、椅子がストンと下に落っこっちゃってひっくり返ったり、ハイハットが倒れちゃったりさあ、大変なもんだよ。ウーン、俺は気の毒になっちゃったけど、エルビンはそれでも平気でやってるんだよ》
《プレーの上ではエルビンは欠点ないよ。グレイト・ミュージシャンだね。それより他にない。あの人聞いているといつも何かあとに残るということじゃなくて、とにかくすっきりする。生まれたときからジャズがあるんだ。そういう感覚があるんだねえ……》
エルビンが聞きたくなったでしょ。今はいい時代だねえ。
Elvin Jones Drum Solo
ジャズ喫茶のマッチ