日本近代文学館の絵葉書より「太宰治 高校時代の英語の教科書への落書」(個人蔵)。驚いた。太宰は絵描きになってもよかった。
÷
大田貫教授に頂戴したプルースト関連書二冊、井上究一郎『幾夜寝覚』(新潮社、一九九〇年)とプルースト『ラスキンを読む』(Yale University Press, 1987)にざっと目を通す。『幾夜寝覚』はイタリアへの団体旅行「北イタリア・ルネッサンス美術の旅十五日間」の記録を中心に計六編のエッセイからなる。その旅程は次のようなもの。
東京発
ローマ 2泊
オルヴィエート
アッシジ 1泊
アレッツォ
シエナ 1泊
サン・ジミニャーノ
フィレンツェ 3泊
ピサ、ルッカ、ボローニャ
ラヴェンナ 1泊
フェラーラ、パドヴァ
ヴェネチア 2泊
ヴィチェンツァ
ヴェローナ 1泊
マントーヴァ、パヴィア
ミラノ 2泊
東京着
けっこうハードだ。一九八九年だからかどうか、ペルージャが旅程にない(中田英寿がペルージャに入ったのは一九九八年)。ペルージャにはわりと長く滞在したのでイタリアと言えば、ペルージャを思い出す。小高い丘にびっしり家が建ち並ぶ町なのだが、螺旋状に登っている道路を路線バスの運ちゃん、飛ばすこと、飛ばすこと(鉄道の駅は町から離れているのでバス利用)。初めてのときは生きた心地がしなかった。
プルーストの方は、彼が傾倒したジョン・ラスキンのテキスト(『アミアンの聖書』『胡麻と百合』)をフランス語に訳したときに付けた序文を英訳した本である。プルーストがラスキンに傾倒していたのは一八九九年からおよそ六年間、弟子〜巡礼者〜批評家〜翻訳者というふうな関係だったとか。弟子といっても直接教えを受けたわけではないようだ(ラスキンは一九〇〇年歿)が、強く引きつけられるものがあり、それはむろん後年の『失われた……』にも深く影響しているとか。『胡麻と百合』の序文「On Reading」などはラスキンについてほとんど触れていない異例な内容。自注によれば間接的な批評を試みたそうである。
「ひょっとして子どもの日々ほど、何ということもなく過ぎたと思っている日々と同じくらいずっとお気に入りの本に没頭していた日々はないだろう。それ以外の何であれ、聖なる喜びにたいする俗なじゃまものとして、みんなきれいに忘れてしまった、そうじゃないだろうか。いちばん面白いところを読んでいると、友達がゲームをしようと誘いに来るとか、うるさいミツバチや陽の光でページから目を上げさせられたり、体の向きを変えさせられるとか……」
序文の冒頭を無理やり意訳(というか想像に近い)してみたが、これはもうまったくプルースト節になっているように思う(英語力のないせいもあるものの、はっきりいって逐語的には訳せないあるヨ、よって原文は省略)。
キイボード動かぬまゝの夜学かな