『植草甚一主義』(美術出版社、一九七八年、デザイン=平野甲賀)。写真は表4(裏表紙)側、撮影は高梨豊。
神戸二ノ宮商店街にあった古本屋・礼文堂で『ワンダー植草・甚一ランド』(晶文社、一九七一年、装幀=平野甲賀)を買ったのは一九八〇年代の後半だった。植草甚一を読んだのはこれが最初である。一九七九年歿だから、植草ファンだったとはとうてい言えない。しかし、一読して、すっごいスノッブなおじさんがいたもんだと驚いた。今は古書としての植草本もじりじり高くなっているが、当時はそうでもなかったし、スクッラップ・ブックなどは均一台でかなり拾えたものだった。
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書肆アクセスより、閉店の通告書が届いた。十一月中旬までは営業するそうだ。
《1976年創業以来、地方・小出版流通センターの「展示センター」及び「神田村売店」(書店現金卸し)として、31年間にわたり、「書肆アクセス」を運営してまいりましたが、この数年売り上げ不振が顕著となり、経営を維持することが困難と判断し、大変残念ですが、本年11月中旬をもって、「書肆アクセス」を閉店することにいたします》
代表取締役・川上賢一氏の名義で7月15日付けになっている。他に店長・畠中理恵子氏お詫びの手紙も同封されていた。《この数年売り上げ不振が顕著となり》とあるが、三十年以上維持してきたものを放棄する理由としては納得しにくい。別の理由を想像するしかない。
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ランボーにコメントくださったみなさま有り難うございます。絵描きの知り合いにもいるが、早熟だった人間ほど、消耗というか、見限りが早い傾向があるようだ。中学生のころから『美術手帖』を熟読していた男は、今、まったく美術とは関係ない仕事をして成功している。小生など、そんな雑誌があることを知ったのは大学に入ってからだった。むろん例外もあるとは思う。だからどうしたというわけでもない。それぞれの人生だ。しかしランボーのアビシニア(エチオピア)時代は詩集よりも面白そうである。
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明日からしばらく夏休みです。