『ストイケイオン』第九号、なないろ文庫ふしぎ堂、二〇〇七年二月五日発行。装幀=民里実(よくよく見ると猪だ)。『彷書月刊』編集長・田村治芳さんらの同人誌。田村さんは青春時代を懐古した連載を続けておられる。田辺高校文芸部の頃、倉尾勉と二人でガリ版の詩集を作る。
《わたしの出会った最初の詩人が倉尾。とは何度も書いた。目の前に、本当に詩を書くことが必要で、必然としている人間がいることに驚いたんだと思う。切実に、まるでメシを食うように、あたりまえに、毎日毎日詩を書かなくていられない倉尾がいた。》
《そして詩集のコト。五十部もするんだもの、十七篇だすつもり。詩集『箒星』。十七の詩的証明である。日曜ごとに原紙をきる。金は二千円程かかるであろう。倉尾、心配するな。》
田村さん、もう出版やってたんだ。『箒星』と倉尾の『由来記』、二冊の詩集を十六箇所に献呈した。栗原まさ子から礼状が届いた。
《あなたがたはいまあなたがたの心が地球がひえて山や平地ができたころのようにうごいてどうにでもこれからの自分のなかみ(心や知識を)つくるときだと思います。》
これは一九六八年のこと。その前年六七年の年末に田村青年はザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」三七〇円をダンジョウ楽器店で買ったという。じつは小生もこの曲には思い出がある。ちょうどその年末から正月にかけて高松市の小さな病院に入院していた。小学六年生の冬。年越しの静かな病室でラジオから「帰って来たヨッパライ」が流れる。コミカルなのだが、どこか寂しい「エリーゼのために」の戦慄が染み通った。忘れられない。
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