中島俊郎『イギリス的風景 教養の旅から感性の旅へ』(NTT出版、二〇〇七年、装幀=吉田篤弘・吉田浩美)。一気読み。思わずあちらこちらに付箋を挿んでしまった。
《鉄道が招来したトマス・クックのマス・ツーリズムが起きるまでの、ほぼ一七三〇年から一八三〇年まで実践されたツーリズムに焦点を当てて、そこに継起した文化現象の諸相を読み取る試みである》p4
一言で紹介すればそういうことである。イギリス人の旅行は「グランド・ツアー」すなわちギリシャ・ローマの遺跡・遺物を求めてイタリアへと旅することから始まった。彼らはイタリアで古美術品を買い漁った。コレクションを持ち帰り、図録を出版し、建築や庭園その他のデザインを模倣したのである(例えばウエッジウッド)。要するに新古典主義ブーム。遅まきながらのルネサンス。
たしかに、古典文学に触発されて、その舞台となった場所に行ってみたいと思うのは自然なことである。イギリス人ではないけれど、ハインリヒ・シュリーマンが神話を歴史的事実と信じてクレタ、ミュケーナイの遺跡を発見したのも同じ心理であろう。
グランド・ツアーの次に流行するのが国内旅行だという。どこかで聞いたような話だが、それはピクチャレスク(崇高な美をもつ風景)を探し求める旅だった。こちらはロマン派的であろうか。それとともに多数の旅行書が出版された。ところが時代はさらに進み、より自然な景観を善しとして、徒歩で旅行することが流行り出すというから面白い。旅における自然主義の登場だ。ワーズワースがその代表だが、何人もの徒歩旅行家が紹介されている。
またそれと同時に大都市ロンドンを観光することもたいへん流行したという。そのためにロンドン案内書があまた出版された。そういうイギリス人の「旅心」の原点にあるものは何か? ここで披露してしまっては、営業妨害となる。それは読んでのお楽しみ。
しかしこういうふうに見ると、旅と書物は切っても切れない関係にあることが分かる。以前、小生は「文学=旅」だと書いたことがある(「旅の道具ーイザベラ・バード『日本奥地紀行』」『古本スケッチ帳』所収)。むろんそこまで極端ではなくとも、書物と旅は互いに刺激し合うものなのだと言うことは出来るだろう。
そしてまた本書『イギリス的風景 教養の旅から感性の旅へ』も、古書の村として有名なヘイ・オン・ワイで中島氏が雑誌『カントリー・ライフ』を数冊求め、初夏のウェールズの風景をうっとりと眺めていたときに、突如として受けた啓示、そこからスタートしているのだという。旅の本、あるいは本の旅。イギリスをもう一歩深く知る好著。
÷
早稲田古本村通信 第130号、「気になる「わめぞ」の点と線第1回 古書往来座から古書現世へ」金子佳代子(旅猫雑貨店)さんの写真がとてもいい。モノクロというところに意表を衝かれた。蟲文庫さんの連載も快調なり。
http://www.mag2.com/m/0000106202.html