内堀弘・高橋徹・田村治芳3氏による「本」の鼎談という催しが東京堂書店で2月3日に開催される。これはぜひ聴いてみたい。しかし聴けない、残念だ。ご都合のつく方は是非ご参加ください。どうやら青木正美氏の近著『ある古本屋の生涯 谷中・鶉屋書店とわたし』(日本古書通信社)がメインな話題になるようである。詳しくは東京堂書店のHPにて(下の催事欄参照)。
『ユリイカ』9月臨時増刊号、総特集・稲垣足穂。書容設計=羽良多平吉。出ていたのは知っていたのだが、買いそびれていたのを思い切って買った。足穂の全集未収録の作品から十篇が掲載されている。「椿実の快速調」が面白い。とにかくタイトルの付け方が抜群にうまい。メトニミーというかデペイズマンがこんなに上手な書き手はそうはいないだろう。
加藤郁乎、松山俊太郎、渡辺一考による鼎談、松岡正剛のインタビューは必読。松岡氏の発言のなかにこういう足穂の考え方が記録されている。
《シェイクスピアの戯曲と寸分たがわぬ、でも十箇所だけ足穂が手を入れた『ロミオとジュリエット』を作りたいと言っていた。「ちょっと違うでしょ?」「え、どこが違うの?」というような『ロミオとジュリエット』を書くこと。それが本当の執筆だと言いだしたんですよ、最後は。》
このくだりを読み終わって、レクチャーの下準備で『辻馬車』のコピーに目を通していると、大正十五年二月発行第十二号の巻末に足穂からの書簡が掲載されているのを発見した。それは『辻馬車』一月号で《小生とイハラの作が似てゐる云々》と書かれたことに対する抗議文である。似ていてもまったく違っているのだそうだ。
《一つの作を他の者がかきなほしたときさへ、優に一箇の創作たり得るはづと信じてゐる小生は、たゞ月星ガス体式材料が使つてあるからとのことで本家争ひせよとの御説、何と云つても感覚の尖鋭とネオローマンチツクの新意識に目ざめたるわが辻馬車諸君(むろんそのひとりでせうが)から出たものとしてよろこばしく思はざるところ》
云々とあって、この大正十五年の時点(二月に金星堂から『星を売る店』刊行)でもうすでにはっきりとコピーと差異に対する手法的な自覚があったようだ。
扉野氏の「蝙蝠飛ぶ柳の下にタルホとハルオは出逢ったのか」は稲田堤の農家と飯塚酒場という二つのトポスから稲垣足穂と梅崎春生のニヤミスを描いてみせる。よく書けていて寄稿者のなかではいちばん素直に読めた。
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指先のあたりに違和感を覚えて、ひょっと見ると、右手の中指が部分的に少し紫色になっている。小学校の頃には冬になるとたいてい霜焼けに悩まされたが、久しぶりの感覚だったので驚いた。そんなに厳冬というわけでもないのに。
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蟲文庫さま
失礼しました。プリントゴッコとはまったく気づきませんでした。素敵です。