これが室町時代に建てられたという京町家。むろん参考までに教えてもらっただけ。たしかに風格がある。
今日もまた近所の貸家を何軒か、内部も見せてもらう。あちらを立てればこちらが立たず、といずれも一長一短。しかし長年住んでいる地域でも知らない場所が多いことを再認識する。
÷
神戸在住のある俳句をなさる方に俳文堂のことを尋ねてみたら、丁重な返事をいただいた。
《俳文堂主人は、ちょっとした紳士だったと思います。黒木さんより少し大柄で色白、語りくちも、オウヨウな日本風ジェントルマンというか——。店名も俳文堂ですから、西欧系より和風の趣味の持主の方だったのだろうと思います。》
《買った本は余りなかった、少なかったというより記憶にないのですが、売ったことはあります。40年近く前、長田区から垂水区へ引越した際 本を売りました。昔の(カラクサモヨウ?)大きな風呂敷を持って俳文堂主人が、引きとりに家に来てくれたのですが、売ると売らない2つの山に分けておいていたところ売らない方の山にたとえばチクマの金子光晴詩集など見つけて「あんな本が欲しいんですがな」などと言われたこと覚えています。》
《とにかく、売る本屋を選ぶに俳文堂としたことは、ボクなりの当時の理由があったのでしよう。(当時というより今でも、ちゃんとエエ値で買ってくれると思われるところ選びますが) 三宮で岩田書店という小さな出店を持っていた、人のいいじいさん店主に、俳文堂に本を売ったこと話すと「あの人ならいい」とほめてくれたことがありました。まあ同業者にも、ボクらの様な目のない客にも、とりあえず公正なジェントルマンと、いや商人、文人かどうか分かりませんが、多くの人に認められた紳士ということだと思います。》
《店の広さは東の黒木書店ぐらいでしたか。亡くなった後、ほんの短期間、小柄で色白な奥さんが坐ってられたと思いますが、店はたたむということだったのでは——、又、元町のあの店より以前に別の場所で店を持っていたのではないかと想像してますが——。想像と云えば、買い付けに大風呂敷なのですね。車はまだでした。俳文堂さんは大風呂敷、背負って(?)、ボクの想像では、途中でタクシーひろって帰るという事ではなかったかなー。》
《地震のあと大阪・梁山泊に本を一車分売りましたが、買い方が気に入りました。驚きました、殆ど全冊、一応目を通したと思います。ノートに多分、上中下のランクに分け「正」の字でイチイチ冊数を記し、勘定していました。(大変時間をかけて)》
う〜む、これは『神戸の古本力』アンケートに入れたかった。
÷
古本ソムリエさま、すむーす堂よりお買い上げありがとうございました!
恵文社の大古本市、15日までですぞ。