「ほっ」と。キャンペーン

林蘊蓄斎の文画な日々
by sumus_co
カテゴリ
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
京のお茶漬け
東京アレコレ日記
佐野繁次郎資料
宇崎純一資料
渡邊一夫の本
青山二郎の本
spin news
読む人
パリ古本日記
写真日乗
あちこち古本ツアー
装幀=林哲夫
著述関連
画家・林哲夫
雲遅空想美術館
淀野隆三関連
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
貧乏こっとう
ほんのシネマ
以前の記事
2016年 11月
2016年 01月
2014年 02月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
more...
お気に入りブログ
フランス落書き帳
フランス美食村
退屈男と本と街
ニューヨークの遊び方
gyuのバルセロナ便り ...
奥成達資料室blog版
空ヲ洗フ日々 十谷あとり
浅生ハルミンの『私は猫ス...
古書渉猟日誌
bookbar5
わたしつくるひと
猫額洞の日々
トスカーナ オリーブの丘...
フォロニアム
昨日の続き
モンガの西荻日記
往来座地下
天音堂★山口ヒロミ工房_...
NabeQuest(na...
フランス古道具 ウブダシ
Mの日記@古本T「たまに...
日常と夢の記憶
Gallery Shim...
and so on...
亡兎観現世
石のコトバ
ボローニャに暮らす
糸巻きパレットガーデン  
Kumatetsu Ga...
Muntkidy
Lenzgesind
奈良 智林堂書店  
うらたじゅんの道草日記
高遠弘美の休み時間・再開...
ネジ式
さし絵のサイン
机の上で旅をしよう(マッ...
森のことば、ことばの森
新潟絵屋Blog
オックスフォード便り
白 の 余 白
Madame100gの不...
ツレヅレナルママニ(みど...
関西の出版社
めぐり逢うことばたち
古本万歩計
りはびりカメラ
ムッシュKの日々の便り
Books & Things
ちらしDMコレクション
ネコと文学と猫ブンガク
daily-sumus2
最新のコメント
今はネット古書行脚でしょ..
by sumus2013 at 20:41
学生時代は、カンダの古本..
by 根保孝栄・石塚邦男 at 07:34
御教示に深謝です。蓜島氏..
by sumus_co at 08:37
「『正誤正刪『日本近代文..
by MY at 11:05
了解いたしました。
by sumus_co at 08:30
神谷様 御教示に深謝いた..
by sumus2013 at 20:06
神谷道一と神谷由道は親子..
by 神谷 at 15:59
kikiさま コンドルで..
by sumus_co at 15:53
ジャン・コクトーだなぁ。..
by 根保孝栄・石塚邦男 at 06:59
先日来、調べごとをし..
by kaguragawa at 22:13
メモ帳
お問い合わせはこちらまで

本を散歩する雑誌 [スムース]
洲之内徹略年譜
『書肆アクセスの本』
ほんまに日記
恵文社一乗寺店
Calo Bookshop & Cafe
貸本喫茶ちょうちょぼっこ
BOOKONN
奥付検印紙日録
とらんぷ堂
書肆砂の書
みずのわ編集室
みずのわ放送局
エエジャナイカ
蟲文庫
古書日月堂
海月書林
田中栞日記
古書の森日記
日用帳
なえ日記
lady pippon
古書現世店番日記
海ねこ的日々の暮し
m.r.factory
ナンダロウアヤシゲな日々
内澤旬子・空礫絵日記
四谷書房日録
森茉莉街道をゆく
ねこそぎ記念
本の街日記
リコシェ
旅猫雑貨店
津田明人
北方人日記
柳居子徒然
駅前糸脈
日々のあわ.。o○
晩鮭亭日常
空想書店書肆紅屋
bibliomaine mod
autographes et …
BiblioMab
Le blog de Yv
Le Monde
Gibert Joseph
bnf
BRITISH LIBRARY
Galaxidion
Library of Congress
Strand Bookstore
The Book Design Review
penguin blog
Mark Simonson Studio
modernmechanix
くうざん本を見る
神保町系オタオタ日記
ma-tango
jun-jun1965
書物蔵
スローラーナー
本はねころんで
漁書日誌
城戸朱理
町家古本はんのき
古書ダンデライオン
Kanecoの日記
吉岡実の詩の世界
qfwfqの水に流して
古本屋ツアー
清水哲男
Automat svět
細馬宏通
中野晴行
古通・編集長日誌
昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板
喫茶・輪 
古本ときどき音楽
本と暮らす
ウロボロスの回転
表現急行
tundowの日記
盛林堂日記
フクヘン
ですぺら
花森安治の装釘世界
文壇高円寺
ぶろぐ・とふん
medievalbooks
マン・レイと余白で
okatakeの日記
古本ソムリエの日記
最新のトラックバック
京都印刷発祥之地 記念碑建立
from 印刷見聞録|からふね屋|京都
本を散歩する雑誌 [スム..
from 相互に旅をする人
土曜日のブックオフ
from 古本万歩計
[書評][詩歌に寄せるエ..
from 読書百篇
第33回西荻ブックマーク
from 西荻ブックマーク
北野武似の少年は夏休み、..
from 月の風ノート
【ライト兄弟】についてブ..
from 最新キーワードチェック!
『田辺茂一と新宿文化の担..
from じんぶんや「紀伊國屋書店と新宿」
美の名言
from 美の名言
横尾忠則の小説
from Mの日記@古本T「たまにはス..
ライフログ
検索
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


石川淳傅説

b0081843_2030155.jpg

渡辺喜一郎『石川淳傅説』(右文書院、二〇一三年八月三〇日、装幀=臼井新太郎)読了。

「はじめに」に面白い話が披露されている。まだ流行作家となる前の石川淳が世話になった海老名雄二という人物がいる。著者は昭和四十年代末から度々海老名を訪問して石川のことを聞き出し、それを文章にして発表していた。

《その都度石川に送った。どうもその「伝記的研究」がいけなかったようだ。昭和六十一年二月に来た石川からの最後のハガキには「貴下の書くものが不快で氣に入りません」などと来訪などを断る文面であった。前年までの七通の"電文"のようなハガキはすべて好意的であったのに。》

渡辺は石川の逆鱗に触れた。それにしても昭和六十一年というと、石川は八十七歳である。まだ生々しい逆鱗が残っているというのも逆に不思議だし(ただし人が年齢を重ねると寛容になると考えるのは、考える方が間違っているのかもしれない)、それまでも研究者の作った年譜をバッサリ切ってしまうなど、作家としては、というより作家にしては肝っ玉の小さい男だという気がしないでもない。

しかしながら、石川の前半生についての、絶対的な資料不足を数々のインタビューなどで補ったこの詳細な調査を読めば、たしかに隠したくもなろう、なんというろくでもない男なのか、という思いを強くする。例えば、例えばだが、先日ドラマを見たばかりのせいか『夫婦善哉』のどうしようもない主人公、勘当されたぼんぼんの柳吉、そんな男を連想する。とにかくその屈折ぶりが生半可なものでないことは石川の作品を読んだ者は誰しも感じるだろう。具体的にどのようにすればあのような文体の作家ができるのか、というのは本書によって初めて明らかにされた、と言ってよいかもしれない。

まるで石川の悪口を書いているように思われては心外であるが、事実というものは誰にとってもいつも都合がいいとは限らず(だからこそ事実は常に玉虫色なのであろうが)、往々にして恥辱や汚辱にまみれているものであろう。それを喧伝する必要はないにせよ、抹殺しようと思っても容易に抹殺できるものでもない。社会的に認められた作家ともなれば、時間の闇のなかから事実という汚物を楽しげに探り出してくる研究者が必ず現れる。作家や詩人の放縦や欠陥は、それこそ勲章なのではないかとも思ったりもするのだが、上述の拗ねぶりからして石川は案外と根は当たり前の人間だったのかも知れない。稲垣足穂は「弥勒」で石川の言葉をこういうふうに書きとめている。

《(石川淳が)怒るように云った。「もっともお前が何を仕出かそうと問題ではないが、それならそれで仕事をしろ。くだらないものは書くな。お前が仕事をしているなら、お前がヴィヨンのように泥棒であろうと、あるいは人殺しであろうと一向に構わぬ」》

石川の行状がどうであれ、作品さえ良ければ一向に構わない……はずだ。本書は本文も読みでがあるし、巻末の年譜はこれだけでも大変に貴重なもの。石川淳をもう一度読み直したくなること請け合いである。

 *

最後に、小生が二〇〇四年に「書評のメルマガ」に書いた「石川淳『諸國畸人傳』中公文庫、1976年」をせっかくだから貼付けておく。この時もし『石川淳傅説』を読んでいたら、まったく違ったことを書いただろう。

 *

石川淳『諸國畸人傳』中公文庫、1976年

 書物との出会いというのは本当に不思議なものだ。京都三条の湯川書房で(元来は出版社なのだが、そこでは古書も販売している)雑誌『すばる』4月臨時増刊・石川淳追悼記念号(集英社、一九八八年四月二五日発行)を入手し、改めてその不思議を体験した。

 この追悼記念号は、刊行された直後に神戸のある書店で(郊外型の割といい本屋だったがすぐに潰れてしまった)、買うべきかどうかかなり迷った揚げ句、結局は書棚に戻したものだった。そのときの逡巡の記憶が書店の風景とともに永らく、面妖にも、くっきりと脳裏に残っていて、これはいずれ手に入れなければならない運命か、などとときどき思い出していた。
 
 絶筆および二十代初期短編をも収録したこの追悼号はたしかに記念的な内容である。中村真一郎、佐々木基一、丸谷才一の鼎談もきわめて示唆に富む。文士たちの追悼文集も読み応えがある。なかで河盛好蔵の「思い出一つ」が引っかかった。河盛は石川淳の名前をアンドレ・ジイド『背徳者』(新潮社、一九二四年/改造文庫、一九二九年/新潮文庫、一九三四年)の訳者として初めて知り、同じく石川訳の『法王庁の抜穴』(岩波文庫、一九二八年)を愛読した。それは《この岩波文庫を日本から送らせて、パリの下宿で耽読したことを覚えている。原文は遂に読まなかった》ほどであった。

 この記事を読んだ翌日、恵文社一乗寺店の古書コーナーで『法王庁の抜穴』(岩波文庫、一九三六年七刷/原文旧漢字)を入手した。以前からそこにあったのかも知れないが、背文字も読みとれないような文庫本、しかも千円なのだから、河盛文を読んでいなければ決して購入するはずのないものである。河盛は石川の《ちなみに、Caveの訳語は以前は地下室といつてゐたやうだが、これを抜穴としたのはやつぱりわたしのさかしらである。わたしの翻訳の仕事はまあ十人並といふ程度で、とくに謙遜もして見せないが、決して自慢するやうなものではない。しかし、この抜穴といふ一語だけはわたしのたつた一つの名訳ぢやないかとおもふ》(「ジイドむかしばなし」)という文章を引用しておいて上述のように告白していた。

 名訳というのは大方は誤訳の別名であろう。石川が「抜穴」と訳した Cave(原題は Les Caves du Vatican で複数形)の今日的な意味はワインセラー(葡萄酒の地下貯蔵庫、カーヴ・ア・ヴァン)で、地下キャバレーのことも指す。他にクリプト(地下礼拝室、納骨堂)とかグロット(洞窟)と同義に使われる例も希にあるようだ。源はラテン語 cavus(洞穴)。また『法王庁の抜穴』の本文中に《Cave は、『注意せよ』と云ふ意味もある羅典語なのですぞ》とあるけれど、これは caveo(注意する)の命令形 Cave のことで、ひょっとしてジードはこの駄洒落が気に入ってタイトルをでっち上げたのかもしれない。

『法王庁の抜穴』はミステリー小説だ。よって、ここで筋書きを述べることは控える。が、ごく簡単に言えば、学校時代の親友二人(ラフカディオとプロトス)が、既成の秩序を省みない若者として、世の中に泳ぎ出してから数奇な邂逅をなすというのが基本線。例によって無神論がここに絡みついてくる。

 さて、この古ぼけた岩波文庫を持って、しばらく田舎に帰った。郷里の本棚を整理していると、すっかり忘れていた『法王庁の抜穴』(生島遼一訳、新潮文庫、一九七一年二十二刷、初版は一九五二年)が転がり出てきて驚いた。生島は早く昭和十二年(一九三七)に改造文庫から『法王庁の抜穴』を翻訳刊行している。しかしこれは考えてみれば妙なことで、そのときには昭和十一年発行の石川訳第七刷(すなわち小生が入手したもの)がまだ書店に並んでいたはずではなかろうか。しかもまったく同じタイトルだ。誤訳すれすれなのだから変えても良かったはずだが、変えない方がより良いとの判断だったとすれば、やはり名訳ということになる。それにしても、岩波書店は日本語版権を独占していなかったのか? そもそもジードに著作料を払っていたのだろうか? 

 この点、山内義雄(仏文学者、翻訳家、東京外国語学校卒、石川の先輩に当たる)の回想によれば、少なくとも『狭き門』(窄き門)を大正十二年(1923)に新潮社から翻訳刊行する際には、当時の駐日フランス大使ポール・クローデルの紹介によって、ジイドから直々の承諾を得たという。なお、クローデルはジイドの『法王庁の抜穴』を評価せず、二人は七年間ほども疎遠になっていたが、この通信が旧交を復活させる機縁になったらしい(山内「ジイドの思い出」)。そして山内訳『狭き門』には石川の跋文が付いていた。戦後の白水社版にも再録されているが、その語調はかなり熱く、ジイドへの傾倒ぶりがうかがえるようである。

 はっきり言って、石川訳第七刷は、本としてはかなり粗雑だ。活字が抜けた空白があちらこちらに目だつし、刷りムラもはなはだしい。昭和十八九年ならともかく十一年なのだから、どうしても版元の怠慢である。しかも「抜穴」に象徴されるように、石川訳には多少の強引さがあるらしく思える。一番目立つ箇所は次の手紙の書き出し。

《兄弟………》石川訳
《可愛いひと……》生島訳、新潮文庫版

 フランス語では男女の区別ははっきりしている。生島は女性宛の手紙と解釈した。どちらかが間違っている。というか、石川訳が怪しい。生島は一九〇一年大阪生まれ、京都帝大仏文科卒業(河盛や桑原武夫と親しく交わった)、翻訳者として活躍、京都大学教授を経て一九九一年に没している。石川より二年遅く生まれ二歳多く生きた。

 無論、こんな揚げ足取りをして石川の翻訳を貶めようという積もりは毛頭ない。河盛が《石川さんが後年『狂風記』を発表されたとき、この作品には『法王庁の抜穴』のレミニッサンス(無意識記憶)があるのではないかと思われてならなかった》と指摘しているように、文筆家としての石川はすでに『法王庁の抜穴』において完成されていると言いたいのだ。例えば、次の一節。

《あはれなジュリウス! 書き手はうんとあるが、読み手はろくにない。それは事実だ。人はだんだん読まなくなる…………他人の口吻を借りて、己を推して攷へればだな。結局は、破滅が来るだらう》石川訳

《困った男だ、ジュリウスは! 書き手は大勢あるが、読み手はごく少数だ、だんだん人間は本を読まなくなる。これは事実だ。あの先生のいう通りこのおれが第一そうなんだから。いずれ最後には、悲惨な破滅がやって来るだろう》生島訳

 ここで言うジュリウスは作中人物、作家である(嗚呼、この嘆き、今に始まったことではなかったらしい)。どうだろう、二者の筆法違いは! ある意味、石川訳は、難アリの岩波文庫第七刷のようなもので、少々の不備をも含め、物質的な抵抗感のある存在ではないだろうか。(ちなみに、帰郷中、新古書店ブックマーケットで十年前に手放したまま邂逅のチャンスがなかった『狂風記』(集英社文庫、一九八五年)上下二冊を四百円で見つけた。本は本を呼ぶ)

 石川が『法王庁の抜穴』を翻訳出版したのは二十九歳、いまだ小説家としては認められていなかった。引き続きジイドなどを反訳しつつ、昭和十年頃から本格的な創作の発表を開始、十二年に「普賢」で第四回芥川賞を受けて文壇的な評価を確かなものとした。石川のこの時期の作品発表は雑誌『作品』(作品社、一九三〇~四〇年)を中心に行われ、受賞作「普賢」も同誌に連載されていた。この点でも『作品』の編集責任者だった小野松二を調べている小生としては、とりわけ因縁めいたものを感じる。

 ということで、いよいよここから『諸國畸人傳』の解剖に取りかかる腹づもりだったのだが、紙数が尽きた。この列伝が石川のベストだと断言しては石川ファンに申し訳ないかもしれないけれど、《石川さんの小説は実感がないんだから。虚感しかないわけだから》(中村真一郎)あるいは《石川淳のエッセイは、いくら学問的に深くても、ぼくはペダンティックのまま終わったと思う故に認めたくない。澁澤龍彦のようにペダンティックが昇華して芸術にならなかった》(奥野健男)という洞察に首肯しつつ、『諸國畸人傳』の不器用な我儘ぶり、「マスマのバカばなし」(同書「武田石翁」参照)を嘆賞するものである。


 *

紙数が尽きた……って、メルマガなんだから紙数は関係ないはずだけど(苦笑)。
[PR]
by sumus_co | 2013-09-29 21:33 | おすすめ本棚
<< 天五中崎町商店街 季刊SOMNIUM No.3 葉書 >>