長谷川良察『字考正誤』(森慶造校訂、民友社、一九一二年三版)。この本については下記の通り。
『字考正誤』は、寶永年間(十八世紀初)に長谷川良察という人物が、明代の『字考』を『説文解字』『正字通』『字彙』などに拠って*1欄外校訂した書である。その際に附された序文をもつものが、明治末年に森慶造校訂『字考正誤』(民友社)として刊行されている。この明治版は比較的入手しやすく、時には千円以下で出ることもある。私も今夏、約千円で入手したばかりである。(黌門客)
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内堀さんの『古本の時間』(晶文社、二〇一三年)を読んでいて、面白いと思ったことのひとつに「立ち上がる」と「立ち上げる」の使用がある。正確ではないかもしれないが、前半に「立ち上がる」が二度使われており、半ばより後の部分に三度ほど「立ち上げる」が出ていたように思う。それぞれ一ケ所ずつ引用すると、二〇〇六年初出の「吹きさらしの日々」に《私は揚羽堂が立ち上がる一年に付き合ってしまった》とあり、二〇一一年初出の「書物の鬼」に《私も立ち上げに加わった》とある。
「立ち上げる」はパソコンから生まれた新語?!
http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20070905
この記事によれば『岩波国語辞典』第五版が一九九四年にいち早く取り上げ、『広辞苑』が「立ち上げる」を初めて掲載したのは一九九八年の第五版だということらしい。元来がパソコン用語なのでパソコンの普及とともに一般的にも用いられるようになったと考えていいだろう。そう言う意味では、内堀さんも二〇〇六年の段階ではまだ「立ち上げる」には少し抵抗があったのかもしれない。しかし近年は抵抗なく使うようになっているようだ。
たしか阿川弘之の「立ち上げる」否定論をラジオで聞いたのも九〇年代後半ではなかったかという気がする。阿川の論理は「立ち」という自動詞立つの連用形と「上げる」という他動詞が合体するのはもってのほかである、というようなことだったと思う(正確ではないです)。たしかにその通りだと小生も合点して以来(それ以前も使ったことはなかったけれども)「立ち上げる」は使わないようにしているし、文字校正を頼まれたりしたときにも否定的な意見を添えるようにしている。
「コンピューターのシステムを稼働できる状態にする」を英語では「boot up」と言うそうだ。ブートはブーツの単数形で「深靴」の意味である。そこから「けっとばす」という動詞ができ、起動するに広がったということでいいのだろう。フランス語では「amorcer」と言うらしい。「1.釣餌をつける、まき餌をする/2.開始する」。フランスには外国語を使わないという法律があるためコンピューター用語も多くはフランス語に言い換えている。だいたいコンピューターと言わずにオルディナトゥール(計算機)と呼ぶのが驚きだ。ところが e-mail (発音は「イメル」)はそのまま使うことが多く、なんとか「クリエル courriel」を普及させようとしているらしいが、ネット上で見る限りではかんばしくないように思う。さてどうなるものやら。
立ち上がるだけでなく立ち(たち)のつく動詞はかなりある。文字通り自動詞「立つ」の連用形「立ち」プラス自動詞「……」が圧倒的に多い。立ち去る、立ち直る、立ち替わる、立ち止まる、立ちすくむ等等。あるいは強意の接頭語「たち」(たちいる、たちまさる)もある。とにかく、立ち去らす、立ち直す、立ち替える、立ち止める等とは言わないのである(あまり聞いたことがないような気がするが、絶対言わないとは言えないかもしれない)。
では「立ち上げる」に有利な過去の用例はないのかと古語辞典を見ていると、ひとつだけ「立ち隠る」に対する「立ち隠す」という他動詞があった。用例は古今集・春上の一首。
山桜わが見に来れば春霞峰にもをにも立ち隠しつつ
何事にも例外というのはあるものなのだ。