本日、何はともあれ事の真偽を確かめようとアスタルテ書房を訪問。入口扉にはたしかに《近々、アスタルテ書房を閉店することになりました》という「謹告」が貼り出されていた。
恐る恐る扉を開いて入店すると、店主はゴソゴソと何やら流し(レジの後ろの隠し扉の裏)でジュースのようなものをつくっている。いきなり「近々、閉店なんですか!」と詰問した。すると、どうしてそんなことを言うのかな? と怪訝そうな顔をしつつ「いや、閉店なんかしませんよ」と肩すかしを食ったような答えである。七月からひと月ちかく体調不良で店を閉めて、復帰したところ、今はやる気まんまんですよ、という感じだ。
「近々っていうから今月末とか九月には閉めるのかと思うじゃないですか」
「そう思いはった? ドクターストップがかからない限り五年でも十年でもやるつもりですよ」
ジュースに見えたのは薬だった。
「この薬がまずくてねえ…」
と愚痴りながらアスタルテさんはその一見おいしそうな色合いの液体を一気に飲み干した。う〜ん、ひと安心ではあるが、とにかく自重していただき、永く営業していただきたい。
九月七日に緊急入院されました。
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アスタルテ書房再開しています(二〇一三年年末より再開)
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景気付けに(気持ちだけ)一冊購入。アンドレ・ジィド『エル・ハヂ』(石川湧訳、文圃堂書店、一九三三年一一月二五日、原著は『El Hadj』Editions d'Ispahan, nrf, 1932)。並装だが、本文二色刷(墨と朱)でそれなりに凝った造り。原著のイラストも二色刷で複製されている。内容は、都から旅立った中東(?)の王子に従う予言者になってしまった男が出口なしの状況を語るという筋立てで、何か時局を象徴か諷刺しているのかもしれないが、それははっきりとは分からない、散文詩の趣。
『エル・ハヂ(ハジ)』は刊行の翌年和訳が出たことになる。この時代、日本でもジッドは人気があったのだろうか? ジッド全集は、本国では一九三二年から刊行され始めているが、日本でも早くもその二年後の三四年から建設社が刊行に手を着けた。その頃の若手で優秀なフランス文学者がこぞって翻訳に参加している(淀野隆三も!)。ただし、建設社版で「エル・ハヂ」を訳したのは堀辰雄だった。
蔵書印アリ、記名書き込みアリ。「ミヨシ /大阪道頓堀」のレッテルも。よって格安だった。書き込みは以下のようなもの。
To M. Okamoto
Presented by Pro. Y. Manabe
at his study-room
1942
いろいろ想像させてくれる献辞ではある。