『和文活字』(大日本印刷、一九七一年)と題された活字見本帖。活字の歴史から活版印刷の手順、校正記号まで写真入りで解説されている。活版の教科書のような内容である。当時はまだまだ活版印刷が盛んだったに違いない(ただしこの見本帖はオフセット印刷)。
そう言えば、一九八〇年代後半に大阪の大きな印刷所の活版工場を見学したことがあった。当時はすでに写植が主流で、ワープロも普及し始めていたが、それでもまだ金属活字を使った活版印刷の需要は残っているというような説明を受けた。しかしながら、活版が実質的に終了してしまうのに、おそらく、そのときから十年は必要なかっただろう。同じ頃、写植屋さんの工房も見学したが、その写植もほぼ同時に消えてしまった。
一九七三年には《
単体決算で米ダネリー社の売上高を抜く(世界最大の総合印刷企業に)》という大日本印刷が、この見本帖を発行した年の前後、どんな事業を行っていたか。HPの沿革から引いてみる。
1970 「ホワイト&ホワイト ライオン」でラミネートチューブを商品化
磁気材料コーティング技術を確立
1971 PS版(感光層が塗布された状態の版材)を導入
ホログラムの量産技術開発に着手
1972 シーティエス大日本を設立。電算写植システムを実用化
ミクロ製品事業部に精密加工研究所を設置
(現ディスプレイ製品研究所、電子デバイス研究所)
世界一の印刷企業としてずっと先を見通していたようだ。
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こちらは以前にも少しだけ紹介したことのある『組版ハンドブック』(凸版印刷、刊行年記載なし、おそらく大日本の見本帖と同じ頃か?)。内容はほぼ同じだが、活版印刷の説明は省かれており、もっと実際的なレイアウト・編集技術の例示に徹している。大日本のものより実用性がありそうだ。組版見本の見せ方も余白まで考慮に入れて非常に分りやすい(凸版印刷は一九六九年からコンピュータ組版に取り組み始めたという)。
ただし本書の巻頭では原弘がはっきりと以下のように予言しているのには驚かされた。
《写真植字の出現は、たしかに文字印刷史の上では画期的な発明だが、どれだけに金属活字の地位、特色をはっきりさせた、ということができるだろう。世界的に見ても、書物の世界から、金属活字が消えるということはないだろう。》
トップ・デザイナーの歴史認識という観点から、これは歴史に残していい発言であろう。