『乾河』67に掲載された冨岡郁子さんの「展覧会『パリの本屋さん』」に登場する古書店ポン・トラヴェルセの店主マルセル・ベアリュの代表的著作『水蜘蛛』(田中義廣訳、エディシオン・アルシーヴ、一九八一年一〇月一〇日、装幀=羽多良平吉他)の裸本を入手して読んだ。実際はゴージャスな飾函がついており、明らかに函の方が価値が高いと思われる。
表題作の「水蜘蛛」がよく書けている。カフカの「変身」に類似したメタモルフォーゼが主題だが、そこはフランス人らしく色っぽい仕掛けになっている(その分、深みには欠ける)。
一九〇八年、ベアリュはロワール河流域のセル・シュル・シェールに生まれ、ソーミュールで幼年時代を過ごした。パリへ出た後、一九三一年モンタルジス県のモンタルジスという町で帽子屋になった。三二年に処女詩集を刊行。三七年にマックス・ジャコブと知り合ったのをきっかけにジャン・コクトーをはじめ多くの詩人たちの知遇を得た。
一九四五年、パリに戻る。まず郊外のサンジェルマン・アン・レイで古家具店を営み、次いで四九年、パリ七区のリュ・ド・ボーヌに古書店「Le Pont traversé」(ジャン・ポーランの小説のタイトルだそうだ)を開店。サン・セヴェラン寺院の近く(ソルボンヌのそば)に移転した後、ヴォージラール通り六十二番地の肉屋だった建物に移った(現在もそこで未亡人によって営業中)。五五年より雑誌『秘密の現実 Réalités secrètes』をルネ・ルージュリ(René Rougerie)とともに刊行(〜七一年)。九三年歿。
田中義廣「ベアリュを訪れて」に付されている写真より。ベアリュと若妻のマリー・ジョゼ。
《マルセル・ベアリュ氏は現在、パリ、リュクサンブール宮殿の近くで「ル・ポン・トラヴェルセ(渡られた橋)」なる看板を掲げた古書店を営む。かねてより彼の作品を愛読していた私は、一九七九年夏の訪問以来ふたたび渡仏して、八〇年秋、彼のもとを訪れた。文学(特に幻想文学、シュールレアリスム、詩)と美術書を専門にしたこの店で彼は忙しく働き、執筆は午前中にするという。原稿を清書するタイプライターのリズムに合わせて、豊かなバリトンの声で歌を口ずさむベアリュ氏は元気そうであった。
彼と彼の若き伴侶マリー・ジョゼに迎えられた私は、二階の住居へ案内された。皮表紙の貴重な蔵書が収められたガラスケースを踊り場に見、献呈本がところ狭しと並ぶ廊下を通り抜けて居間に入る。ベアリュ氏自身の手による水彩画が収められたその部屋で、この日、私たちはゆっくりと語りあうことができた。》(ベアリュを訪れて)
函の写真を探し出した。ここに幅広の帯が付く。
版元のエディシオン・アルシーヴにも興味を覚える。巻末の書目を見ていると、ド・クインシー『芸術としての殺人』(川島昭夫+法水金太郎・共訳)というのがあった。これは、これは、びわこのなまず先生と古本邪鬼横山先生のコンビではないか(!)。本書の編集人は訳者夫人の生田智恵子で、検索によれば生田耕作の姪にあたるそうだ。季刊誌『ソムニウム』という雑誌も刊行していた(四号まで?)。エディシオン・アルシーヴに要注意である。