ニッシム・ド・カモンド美術館(NISSIM DE CAMONDO)。カモンド家は十九世紀の初めにトルコで銀行を創設した。その銀行はオスマン帝国で最も重要な銀行のひとつとなる。フランスの第二帝政時代の終り頃(一八七〇年)、パリに移住し、モンソー通に邸宅を構えた。一族のうち、イサクは蒐集家となり、十八世紀美術、日本の版画(浮世絵)、極東美術などの見事なコレクションを造り上げる。それらは一九一一年にルーブル美術館に遺贈された。
イサクの後をモイーズが継ぎ、とくに十八世紀フランス美術を熱心に蒐集した。モイーズはそれらの作品を展示するために父の邸宅を解体し、新たな建物を建てた。そこで二人の息子たちと暮らしたが、その一人ニッシムは第一次世界大戦に参戦し、飛行士として一九一七年の空中戦で戦死してしまう。その死にショックを受けたモイーズは邸宅をニッシムの思い出のためにフランス国に寄贈。三五年の死去にいたるまで、その館を十八世紀フランスの芸術的な住居として完璧に仕上げようと努めたという。
以上はHPからの簡単な要約であるが、実はカモンド邸の一番の見所は十八世紀の芸術的な住居部分ではなく、見事に保存されている厨房スペースである。十九世紀から二十世紀へ移り変わるブルジョワ邸宅の台所の見本として大変貴重なものに違いない。
ここにはそのごく一部の写真を紹介しておく。皿、厨房の一角、料理長の書斎(メニューの研究をするようだ)。二階、三階は貴族的なロココ趣味の家具調度や食器、絵画、彫刻、タピスリーなどが展示されているわけだが、この台所の実用本位の、しかしじつに無骨かつユニークな道具類の美しさにはとうてい及ばないように思われるのだ。上階ではトイレや風呂のスペースも良かった。
上階で書籍が収蔵されているところ。
なお、ナチの占領下において、モイーズの娘ベアトリスとその夫は子供たち二人とともに収容所へ送られ、そのまま行方不明になったという。
Madame100gの不敵な冒険
ニッシム・ド・カモンド美術館 その台所に注目!
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