『えむえむ』第四号(二〇一三年二月一五日)はまたまた見事な内容で嘆声しながら頁をめくっている。広く深い熊田コレクションに脱帽である。小特集はフュウザン会(ヒュウザン会)。
《若き洋画家たちが集ってただ二回だけながら、大正時代の幕を切って落とす斬新な美術展覧会を組織した「フュウザン会」をとりあげました。昨年は結成百年の年にあたり、今年解散百年を迎える「フュウザン会」を回顧する展覧会が、どの美術館でも開かれなかったことを残念に思い、誌上でささやかな記念の企画を試みた次第です。》
上の折れたフュウザン(描画用の木炭)は黒田清輝旧蔵の一本だそうだ。折れているのは神戸の震災のためだとか(!)。
三枚目の写真は椿貞雄「丘上之家」(一九二一)。岸田劉生の日記に《[椿が]今日描き始めたといふ八号の風景》(一九二一年九月二七日)と書いている、まさにその八号の風景がこの作品らしい。いかにも劉生の弟子でござい、という絵柄だが、もちろん椿らしさ(天才にない誠実さみたいなもの)が滲んでいる。(
『えむえむ』第四号は古書善行堂で買えるようです)
『えむえむ』第三号(二〇一二年七月一日)
http://sumus.exblog.jp/18599618/
『えむえむ』第二号(二〇一二年二月一日)
http://sumus.exblog.jp/17650397/
『えむえむ』創刊号(二〇一一年九月一日)
http://sumus.exblog.jp/16229690/
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村中秀雄さんより『火曜日』第113号(火曜日の会、二〇一三年二月二八日)を頂戴した。村中さんの詩集を二冊ほど装幀させてもらったし、神戸時代にはごく近所に住んでいたこともあっていろいろ面白い話もあるのだが、まあいずれ披露しよう。村中さんの詩も好きだ。
鳥たちのうた
耳のせいではないのだ
ことばが聞き取れなくて だから
この明るい森を歩く
日を返す木々の色と輝き それは
こころに映えることばの強さ
だから
鳥たちが帰ってくる
冬の枝々には
かれらのよろこぶ姿が見てとれる
最初の人間は
二足で立ったときから希望と挫折をくり返し
これがリズムだと
はるばる世界を歩いてきた
「今日は死ぬにはもってこいの日」
インディアンの古老が
清らかな空に向かってつぶやいた。
わたしは
鳥たちのうたが聞きたくて
今日も森を歩く
ナンシー・ウッド『今日は死ぬのにもってこいの日』(めるくまーる、一九九五年)は金関寿夫訳。原題は「MANY WINTERS」。
金関寿夫「『世界文学』と京都リトル・ルネサンス 四条麩屋町下ル」
http://sumus.exblog.jp/16095132/