これも押入れからの押収品。『DESIGN BOOK』ベル印洋裁帖。表紙に目を奪われた。この表紙が現われたとたん暗い押し入れがパッと明るくなった。「J.N.」のサインは中原淳一。母が若き日に使っていた洋裁のノートである。ベル印洋裁帖については検索しても情報がなかったため発行年代は分らない。おそらく一九五〇年代末から六〇年代か。
婦人服と幼児や子供服の原型が丹念に筆写されている。ミシンの基礎縫も箇条書きで列挙されており、相当勉強していたことが分る。たしかにわが家に足踏み式のミシンがあった。どうしたのかと思って妻に尋ねると「電動式と取り替えてもらったみたいよ」とのことだった。そういえば、足踏みミシンを外国に送るとかそういうことが提唱された一時期があったような気がする。で、残っているのはこのミシンである。
『日本古書通信』1002号で忘れていた。岡崎氏が「昨日も今日も古本さんぽ」で
姫路の風羅堂さんを訪問している。
《店主の大西隆志さんは、『綽名で呼ばれた場所』(紫陽社)などで知られる、関西の有力な詩人。長らく姫路市役所に勤めながら、各種コンサートや演劇など、文化的な活動をされてきた。姫路ではちょっとした「顔」だ。
それがリタイアを数年に控えて、突如、手持ちの大量の蔵書を元に、風羅堂という古本屋を始められた。大西さんには「念願」だったらしく、古書組合にも加入して、満を持しての船出となった。》
《フローリングの床。中央に背中合わせの三段の低い本棚。両壁際に設置された棚にもずらりと本が並ぶ。文芸書が圧倒的に多く、詩集と歌集、句集が充実しているのは、やはり店主が詩人だから。とくに現代詩の詩集は、ちょっとこれまで見たことがないほどの量があった。》
《店を閉めたあと、近くの立ち飲み屋で大西さんと杯を傾けながら話した。あれもしたい、これもしたいと、早期リタイアしてわが手にした「自由」。これをたいまつにして、「風羅堂」店主は颯爽として、ステキだった。》
また、姫路に行きたいなあ。