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「横光さんとの旅」他

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甲鳥書林のPR雑誌『甲鳥』15(甲鳥書林、一九四三年七月二五日、装画=中谷宇吉郎)。この冊子に矢倉年は「京太郎」のペンネームで断続的にエッセイを寄せている。十五号には「近況」として愛読する美術書について、および、祖母の手紙に使われていた「うつり」という言葉が理解できなかったことについて書いている。「うつり」は物をもらったときにその器に入れて返す品のことだそうだ。

昨日触れた資料のなかに同人雑誌『山望』第三号(甲文社、一九四八年七月三一日)の部分コピーがあった。横光利一追悼号である。矢倉も「雪解余話」「追分二吟」「横光さんとの旅」を寄稿して横光の死を惜しんでいる。それらのなかから矢倉の個人情報にかかわる部分を少し拾い出してみる。

《伊賀には一体眉目秀麗な少年が多かつた、小学生の栄子もすばらしい可愛いゝ少女であるが、伊賀では女性よりも少年の方が美しく目に立つ場合が随分あつたーーそれは作者の頃の学生と云ふだけでなくその後十年私の頃の伊賀の中学生の中にもその風貌や生活環境の似た人がゐたのである。》(雪解余話)

《森[家威]先生は明治三十六年から大正十一年まで満十九年間上野中学(当時県立第三中学校)に勤続されて全同窓生の惜々の中に郷里の京都に引揚られたと聞いてゐたが大した先生であつた様であるが、私達の入学した大正十一年に丁度引違つて辞められたのである。》(同前)

以上の記述から矢倉が明治四十二年頃の生まれだと推測できる。

《伊賀のこと一篇は大正十四年の秋に横光氏が私達中学生間で編輯してゐた紫陽花といふ同人雑誌に寄稿していただいたもので、同誌(大正十五年一月二十日発行)の新年号に発表された。その編輯後記に氏は当時神奈川県葉山にゐられたと書いてある。》(横光利一「伊賀のこと」註=矢倉記)

横光利一略年譜によれば大正十四年には《この年、ほとんど伊豆の湯ケ島で暮らした》そうだが、葉山にも居たらしい。矢倉と横光との交流は矢倉の中学時代からあったことが分る。

「横光さんとの旅」は横光との二度にわたる関西旅行の思い出。第一回は昭和十六年五月に阿山女学校で講演をするため横光は矢倉、S(庄野誠一、甲鳥書林の編集者、『文学界』にも籍を置いていたようだ)とともに伊賀上野を訪れた、そのときの模様を中心にしている。友忠旅館に到着してみると横光の中学時代の旧友が集まっていて、彼らはなごやかなひとときを過ごした。

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昭和十六年五月十日友忠旅館における横光利一(『横光利一研究会会報』No.3、横光利一研究会、一九九三年八月二〇日、掲載「故澤成樹氏所蔵の記念写真」より)。

矢倉の友達もやってきた。濱邊萬吉も駆けつけた。

《風呂から上つた私たちは自分の部屋で私の旧知達と更に話合つた。その中に山望同人濱邊(萬吉画人)さんも居り例の伊賀弁むき出しのそれで実に巧みな話術で皆をとけ込ませてすつかり時間を忘れさせた。》(横光さんとの旅)

《萬吉画人は中学で横光さんより級は下であつたが、一度その下宿に遊びに行つて、横光さんから描いた画をもらつた事があつたさうだ。話の間々に蛙が裏の池からなく。》(同前)

翌日、五月十一日に講演が行われ、それが終った後、横光と矢倉、Sの三人は京都へ向かった。四条畷[縄手]下の「近松」に横光とSは投宿し、中市の接待で祇園で遊んだ(矢倉は祇園の話は略している)。矢倉は下鴨の中市家に泊まった。翌日は三人で比叡山を越えて琵琶湖へ出た。坂本から三井寺を訪れた。大津は横光が少年時代の一時期を過ごした土地である。京津電車で宿に引き返したが、その晩、横光とSが口論を始めた。

《作家にならんでよかつたと私[矢倉]が小さい声でひよいと口をはさむと「今晩は君のためにSと話してゐるんだ」と今度は此方へも飛び汁が来た。》(同前)

この旅行と口論についてはSこと庄野誠一が「智慧の輪」という文にしたてて詳細に描写しており、甲鳥書林の矢倉・中市二人の言動もかなりリアルに伝わってくる(発表誌は『文体』第二号、一九四八年)。文学のための文学か売文としての文学かといったような内容から始まって、関西を嫌悪する庄野の不機嫌が口論の原因だったようだ。

この小説の概要については『sumus』第五号(二〇〇一年一月三〇日)に「甲鳥書林と庄野誠一」として小文を載せたので参照されたし。矢倉と中市はあるがままというよりもやや悪意をもって描かれているが、結局庄野は戦中戦後を彼らの世話になって関西で編集者として暮らしたのだから、ある意味自己嫌悪の裏返しなのかもしれない。

《安井君[矢倉]の自尊心のない卑屈さに、嫌悪の情をかきたてられ、さういふ俗物性の中に関西人の典型を見るのだった》(智慧の輪)

といった調子である。

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二度目の旅行は昭和十七年四月三日東京発。横光は出雲へ向かう途中を矢倉とともに京都で下車して一日を遊んだ。

《その時私は五歳になつた私の子供のチユー子ちやんを連れていつた。(恒子といふ名だけど皆がチユー子と呼ぶのでさう自分でも思つてゐる。》(横光さんとの旅)

旅館は今度も「近松」だった。親切にしてくれるので横光も気に入っていた。清水坂から知恩院下まで人力車に乗った。平安神宮の花を見て岡崎公園をまわって帰った。夜は都踊り(都をどり)を見た。この年には歌舞練場は使用許可されなかった(十五年から十七年まで四条南座で行われた)。その夜、横光は出雲へ出発。灯火管制によって京都駅は暗かった。

長くなったが、もうひとつ『山望』の「同人雑記」に中市弘がこう書いている。

《始めて横光利一先生にお目にかゝつたのは確か昭和十六年の春、石塚友二氏と義兄矢倉年にともなはれて、世田谷のお宅を訪問した時でした。》

《又先生がその時、伊賀の出身で出版と云ふ仕事をやるのは君が始めてのように思ふから、やるなら一流の出版社になるよう、せいぜい良書を出してもらいたいとも云つてをられ、僕を励まして下さつたのを今だに覚えてをります。》

これも庄野に言わせれば

《重松[横光]さんはまた、編輯者をも批評家の一種と見なしてゐた。この批評家の方がもつと厄介だし、また案外御しやすい代物だが、油断のならない点は、編輯者の評価といふものがすぐに生活と結びつくところにある。全く重松さんは編輯者を扱ふことの達人だつた。》

ということになり、同様に出版人を扱うのもうまかったわけである。
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by sumus_co | 2013-01-03 21:41 | 古書日録
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