東京滞在中もご来場いただいた皆様より嬉しい書物をあれこれと頂戴した。また不在中に届いていたいただきものの詩集や雑誌などもいくつもあり、ともども追って紹介させていただくつもりである。まずは古書として註文しておいた一冊が届いていた、それをご覧いただこう、というよりご教示を賜りたい。
手製の写本、直書きされた表題は「種邨親子筆 恭節/信夫」。開巻の一丁と半分(要するに三頁)は「いろは弁 扶桑最初禪窟 梵 仙厓書」と題された文章で「天保壬辰三月二十一日」(天保三年・一八三二)と日付がある。続いて「丙辰蕪稿」という扉の付いた漢詩集の清書原稿が綴じ込まれている。丙辰(ひのえたつ)は安政三年(一八五六)だろうか。末尾に「種邨務再拝」とあるが、この名前でググッても手がかりは得られなかった。
「家第中西良平謁太廟帰到喜賦」と題された詩に「勢南」「二見湾」「朝熊嶽」の文字が見えるからこの太廟は伊勢神宮であろう。
漢詩集のつぎには漢詩などのアンソロジーが九丁ある。こちらは比較的新しいようだ。手は同じであろう。丁寧に筆写されている。林藍江、稲田二水、渡辺朝霞、石川柳城、神谷泳山、鍵谷磯北、牧野文翠、戸田葆逸、原田西疇、田島鹿之助、神谷道一、小川亮、棚橋香郷、金森毅庵、象山平啓(佐久間象山)、高橋倭南という顔ぶれ。
検索してみるとある程度の情報は蒐集できる。渡辺朝霞は渡辺霞亭(新聞記者、作家、劇評家)だろう。石川柳城は名古屋生まれの画家で詩書もよくした。神谷泳山(由道)は画家。鍵谷磯北は森春濤(尾張一の宮出身の漢詩人)の門人。戸田葆逸(葆堂)は『鷃笑新誌』の編集人。原田西疇は安芸の人で、名は隆、字は子隆、品川砲台長や松本裁判所上席検事等を務めた後、京都に住して衛鋳生に学び、篆刻家・漢詩人として活躍した。田島鹿之助は東京の代言人(弁護士)らしい。神谷道一は岐阜県可児郡出身の郷土史家。小川亮は近衛師団の工兵大隊長を務めた小川大佐か。金森毅庵は木曽川治水王と言われた金森吉次郎だろう。高橋倭南も森春濤の門人。
ざっと眺めただけでも、これらの漢詩はアトランダムに集められたわけではなく、それなりのつながりがあったのではないかと考えられる。単純に岐阜近辺の人が多い。内容をよく読めばそのへんはもっと具体化できるかもしれない。そういえば仙厓和尚も生まれは岐阜だった。
う〜ん、こういうものを集め始めるとどうしようもなくなりそうだ。しかし楽しい。
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