『scripta』通巻25号(紀伊國屋書店、二〇一二年一〇月一日)が届いたのでいつのものように平出隆さんの連載「私のティーアガルテン行」から読み始める。連載第五回は「レンズの狩人」。今年各地で写真展を開催された平出さんはこれまでの写真との関係について書いておられる。
一九五九年三月『週刊少年マガジン』が創刊され、その巻末の懸賞付きクイズに応募して平出さんは賞品のカメラ「フジペット」を手に入れた。その後ミノックスB型を買ってもらって小学五年の夏に阿蘇旅行で写真を撮った。門司駅近くの小石カメラにフィルムを出した。
《数日後、仕上がりを取りに行くと店の小父さんが、「ぼく、この写真はいいよ」と一枚を取り出して、くり返し褒めてくれた。それは煙の少しだけ立つ火口を写したもので、大きな岩が、自分の一部をくっきりとした陰の平面に変えていた。画面の構成まで、いまでもはっきりと覚えているのは、のちに何度も、どこがいいのだろうと見つめ直したからだろう。
その後、別のなりゆきから小石清をまず知って、それからしばらくして故郷の、あれは、小石清の店だったのかと気づいた。》
小石清は大阪生まれの前衛写真家である。
モホリ=ナギやマン・レイの影響を受けて『初夏神経』(浪華写真倶楽部、一九三三年)という型破りの写真集を出版した。ひそかにこれは佐野繁次郎の装幀『時計』(横光利一、創元社、一九三四年)に影響を与えたのではないかと考えているが、それはさておき、小石清と平出隆のニアミスはなかなか興味深いものがある。小石は一九五七年に歿しているから直接出会ったというのではないだろう。
小生は平出さんほど早熟ではないが、とにかく写真を撮るのは好きだった。中学時代からリコーのハーフサイズのカメラを持って国道を走る自動車だとか、どうでもいいものをパチパチ撮っていた。今でも、どうでもいいものに惹かれて、デジカメだからいっそう見境なしにドンドン撮ってしまう。
このカメラの話を読んで思い出したのが上に掲げたベタ焼き。田舎の書棚を整理していたときに見つけた。百枚ほどある。四十年近く前に撮ったもので郷里の風景がほとんど。おやっと思ったのはしばらく飼っていた黒犬が写っていたこと。この犬は何か悪い物(農薬入り?)を拾い食いしてこの後間もなく死んでしまった。すっかり忘れていた。
一枚一枚ベタ焼きを眺めていると、ほんとにどうでもいいものを撮っている。今となっては撮影場所が分らないものも多いが、まるでその当時の風が肌をなでるようだ。水田の匂いが鼻をうつようだ。これぞ写真の力だなあとあらためて感じ入っている。