少し前に手に入れていた短冊。双白銅文庫所蔵の自筆もので作者がはっきりしている例はほとんどないのだが(ようするに安物ということ)、例外的にこの短冊には裏面に極め書きが貼付けられており、それを信じてしまうかどうかは別として、とりあえず作者は判るのである。
一条准后忠良公姫亀君様ト奉称
後鷹司輔煕公簾中也古歌ト存候□
一条忠良の姫で鷹司輔煕の妻となったのは崇子である。亀と呼ばれていた。姉の秀子は徳川家定の二人目の正室として嫁いだが二十六歳で歿。崇子と輔煕の嫡男輔政も十九歳で早世。娘の治子は三条実美へ嫁いでいる。
歌の方は古歌ということで検索してみると新古今和歌集の巻十七にある藤原興風(ふじわらのおきかぜ)の作であった。改造文庫の高野山伝来本より引くとこうである。
山川の菊の下水いかなれば流れて人の老をせくらむ
倭漢朗詠集に《谷水洗花汲下流而得上流者三十余家地脈和味喰日精而駐年顔者五百箇歳》とあるところから菊の根元を流れている水は長寿を与えてくれるということを歌っているようだ。「せく」は「堰く」、水の縁語を使って「老いを止める」という意味をもたせている。
この歌を亀君様はこういうふうに書いておられる。
屋ま川農菊のし多水伊可奈れ盤
な可連て人能老越世くらむ