林蘊蓄斎の文画な日々
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さらに亀高文子

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『長崎の美術3 渡辺与平展』(長崎県美術館、二〇〇八年)より、渡辺文子、長男一郎、長女美代子。大正四、五年頃。

文子自身の回想文が神戸新聞学芸部編『わが心の自叙伝(一)』(のじぎく文庫、一九六七年一〇月二〇日)で読めるということは分っていたが、入手するには至っていなかったところ、読者の某氏よりコピーを頂戴した。まったく有り難いことである。深謝。以下注意を惹かれた文章を抜粋してみる。

文子の父は渡辺豊洲(州)という画家だったことはすでに述べた。

《今もまだ残っている父の蔵書ーー「豊州図書」と、父の自刻の印を押された外国の美術雑誌は、なつかしく私の幼いころの記憶を呼びさましてくれます。「スタジオ」「ユーゲント」「カラー」その他泰西名画集などは、毎号必ず丸善から届けられ、これらおびただしい蔵書にひかれて、私の家には、後年に大を成した有為な画学生が数多く集まって来るようになりました。》

恩地孝四郎の回想にも竹久夢二の部屋で『ユーゲント(ユウゲンド)』を見たことが書かれていたが、日清戦争とくに日露戦争以降はこういう外国の美術系の雑誌を参照するのはごく普通のことであった。むろん部数はそう多くはなかったであろう。けれども、見たい者はどうにかして見ることができる状況だった。

女子美術学校へ明治三十五年に入学する。校長は藤田文蔵、洋画科主任が磯野義雄。岩村透の西洋美術史に久米桂一郎の解剖学が印象に残っているようだ。親しい友人には、足助恒子、犬塚きぬ子、会津しゅう、埴原久和代。

卒業後、満谷国四郎の絵に魅了されて満谷の指導する太平洋画会研究所へ入る。フランス帰りの中村不折にデッサンを厳しく仕込まれた。指導は中村の剛、満谷の柔というふうだった。

《太平洋研究所[ママ]でともに勉強した仲間には、中村彝、中原悌二郎、堀進二、鶴田吾郎、大久保作次郎、足立源一郎、岡田穀、川端竜子(後に日本画へ転向)宮崎与平(後に私と結婚して渡辺に改姓)らがいました。また、荻原守衛、戸張孤雁らも毎日のように研究所に顔を見せていました。この中で、彝、悌二郎、与平らの仕事ぶりが仲間の尊敬を集めていました。
 こういう男性たちにまじって、ここでは、男女共学のハシリといえましょうか、私ともう二人の女性がいました。一人は女子美校で一緒だった埴原久和代さんで、もう一人は後に高村光太郎夫人となられた長沼智恵子さんです。『智恵子抄』でよく知られているその智恵子さんは、美しい、なよなよとした女性で話す声も聞きとりにくいほどの控えめな感じの外見と、その仕事ぶりは、また反対に自由奔放で強い調子のものでした。》

与平の死後、文子は二人の子供を抱えながら、親から求められる再婚を拒みつづけた。

《自活のための仕事を求めて、私は与平が生前広告の仕事をしたことのある「レート白粉」の平尾賛平商店に頼みに行きました。この時、快く私の願いを聞き入れて、しかも当時としてはかなり優遇して下さった平尾賛平氏のご好意は、私にとって終生忘れ得ない感謝の思い出です。》

レート白粉の広告は「女優マチネー番組表」として以前紹介したことがある。そのときには文子のことにはまったく無関心だったのだが。

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『女学世界』(博文館)明治四十一年五月号よりヨヘイのコマ絵。文子がモデルなのだろう。

《さし絵を描いて「少女世界」や「少女画報」を通じ親しくなった「実業之日本」編集長の星野水裏氏や「東京社」の和田古江氏は当時の指折りのジャーナリストであると共に私にとって忘れ得ない人たちです。和田古江氏の依頼で吉屋信子さんの『花物語』のさし絵を描いたのもこのころのことで、なつかしくたのしい思い出です。》

挿絵を描き始めたのは大正六年と年譜ではなっている。単行本『花物語I』は洛陽堂から大正九年刊(書影はこちらのブログに)。

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文子は川端竜子夫人の紹介で大森の農家に住むようになる。大正四年には父が死去して母も同居。同じ大森で一軒家に転居。平尾商店の広告部で絵画部の主任となり、挿絵の収入もあって、一家五人(女中も含め)は苦労なく暮らせるようになった。

大森では大森文化人の仲間として「木原会」(木原山にあった望翠楼ホテルでもたれた画家や文士の集り)に参加し、本業である油絵を文展や太平洋画会に出品していた。しかし、女手だけの暮らしではいろいろ困難なこともあり、再婚を決意する。

《私の絵の仕事もそのまま、家族も全部そのままという望ましい条件も重なり合って、私は与平の死後六年たった大正七年の四月に、母と二人の子供をつれて、東洋汽船会社の船長であった亀高五市と再婚したのです。》

そして大正八年、日本で初めての女性画家だけの団体「朱葉会」の創立に参加した。津軽照子、尚百子、小笠原貞子、与謝野晶子、小寺菊子、津田敏子、埴原久和代、吉田ふじを、高安やす子ら。

夫は船長を辞めて、神戸港のパイロット(水先案内)の職に就くことになり、文子たち一家は神戸の熊内に住むことになった。まったく知らない関西での生活が始まるのである。それが、なんと関東大震災の三ヶ月前だったというから何ともラッキーだった。
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by sumus_co | 2012-08-28 21:26 | 雲遅空想美術館
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