『ユリイカ 2012年8月臨時増刊号』(青土社、二〇一二日七月二五日)総特集◎野見山暁治 絵とことば きょうも描いて、あしたも描いて、90年。昨年十一月にブリヂストン美術館で野見山暁治の回顧展があった。十月に上京したのだが、時期的に少し早くて見られなかった。図録でも…と思っているうちに時間が過ぎて『ユリイカ』が特集をしていると知人が教えてくれたので買ってみた。巻頭インタビューが面白すぎてつい読みふけってしまう。
《野見山 絵描きにプロはない。むしろ、絵描きがプロになったらおしまいだと思っています。僕は職業欄に「画家」と描く時に、いつも「画家は職業か?」と悩みます。職業というのは、それで金を得るものでしょう。じゃあ一点も売れなかったゴッホは、絵描きが職業だったと言えるのか。道楽だとしても、ゴッホの場合は命がかかってますから。いや、案外、人は道楽に命をかけるものですけどね(笑)。》
九十過ぎてこの悩みは若いなあ。この間、
ミッシェル・ラゴンの『だまし絵』を紹介したが、そこに登場するポリアコフとアトランのその後の様子が語られていたので引用しておく。
《ある日、菅井汲が、「ポリアコフ金持ちになっとるで」と言うから、「どうした?」と訊くと、「オペラ座のところでバスを待っていたら、夕立になって、困ったなあ思うてたら、ロースルロイスがパッと停まって「スガイ、乗れ」と言うから、見たらポリアコフやった。あれ、ロールスロイス買っとんのや」と言っていた(笑)。それから、うちの近くにはアトランという絵描きが住んでいて、よく遊びに行きましたね。アトランも売れだすと洋服がよくなって、「金持ちになったなあ」なんて話したり、みんな非常に人間的でしたよ。》
田中りえ「絵かきのおじさん」も面白かった。田中小実昌の娘。田中ファミリーと野見山暁治は一緒に暮らしていた時期もあり、その後も隣接した土地に家を建てたそうだ。田中りえはこう書いている。
《「こんなこと、わたし、いってないよ」と、おじさんにいっても、「オレはたしかにそうきいた」しかいわない。わたしが、そんなこと、いうはずがないという理屈は、門前払いで、「いった」「いわない」の水掛け論になる。おじさんは、つくってウソをかいたりしない。自分なりの「そのまんま」を、かいているだけなんだけど……。》
井伏鱒二のエッセイと同じだ。これまで『四百字のデッサン』はじめ何冊か野見山本を読んで来たが、やっぱり信じてはいけなかったのだ。駒井哲郎とか坂本繁二郎についての文章なんか、あんまりおもしろ過ぎるよなあ……。りえさんによれば《じつは、おじさんがいいたいことを、ひとの口で、いわせている》ということになる。なるほど。
《おじさんの文は、写生(デッサン)ではなく、勢いでかく油絵だ。『四百字のデッサン』という、おじさんの本の題名をつけたのは、わたしの父だが……。》
ガストハウス タナカ 田中屋
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最後になったが、上の写真は本誌より。「1956(昭和31)年、陽子夫人と椎名其二氏。野見山撮影」。椎名其二も『四百字のデッサン』で印象深く描かれている人物だが、おそらくりえさんの言うように実像からはほど遠いのかもしれない。椎名其二の伝記を執筆された蜷川譲氏もそのようなことをおっしゃっておられたのを思い出す。
マビヨン通りの店
http://sumus.exblog.jp/14232002/
野見山暁治『アトリエ日記』(清流出版、二〇〇七年)
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『野見山曉治展』(北九州市立美術館、一九八三年)
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