フェリーニの「甘い生活」(1960)を久しぶりに観た。昔の映画ノートをめくってみると(一時期熱心に記録していた)一九九二年一月四日以来、ということは二十年が煙のように消えた。そのノートにも評価として二重丸が付いているが(無印、三角、丸、二重丸の四段階評価)、今回もすごい映画だと感心した。難解だとか言われているらしいが、全然そんなことはなく、次々と繰り出される映像が何とも見事。最後まで緩まない、飽きさせない。イントロ……キリストをぶらさげているヘリコプターが遠くから近づいて来る。もうここで釘付け。アヌク・エーメ、アニタ・エクバーグ、そしてニコとフェリーニの女性の趣味にも圧倒される……と絶賛していてはキリがないので、要点だけ、ジョルジオ・モランディの作品が登場する場面を再確認したということが言いたい。
モランディが一般大衆に知られるようになったのはこの映画のこのシーンがきっかけだったというから良き時代だった。主人公のマルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)はゴシップ記者。しかし内心は文学を志している。その友人スタイナーの自宅での集会に出かけた。詩人や音楽家たちが集まる。ある意味鼻持ちならない、まったくもってスノッブの極みだが、彼にマルチェロは仕事についての悩みや希望を打ち明ける。その書斎にモランディが掛けられている。「彼の絵は偶然に描けるものではない」という字幕。う〜ん、どんな絵も偶然には描けない…かも。
この絵をモランディのカタログ・レゾネ『MORANDI CATALOGO GENERALE』(Lamberto Vitali, ERECTA, 1983)で探してみると305「NATURA MORTA」(1941、「静物」という意味で、モランディの静物画はほとんどみんなこの題名である)に該当するようだ。似たような構図の絵を何点も制作した作家だから、絶対と言えないかもしれないが、ほぼ間違いないだろう。
ついでにスタイナー(ステイナーとも)の本棚。この男は幼い子供二人を道連れに自殺してしまう。マルチェロは警察に思い当たる節はないかと尋ねられ、すぐには答えられないが、しばらくして芥川龍之介ばりに「不安が原因かも」とつぶやくのだった。
ラストシーンもいい。浜辺に打ち上げられた巨大なエイを徹夜で騒いだマルチェロたちが大勢で見物に集まる。すると少し離れたところにいた顔見知りの少女がマルチェロに向かって何か言おうとしている。風と波の音にかき消されて聞こえない。彼女はマルチェロがあるとき自分の作品を書こうと籠った民宿の小間使いだった。「壁画の天使みたいだって言われないかい?」と少女に問いかけていた。その少女(ミューズ?)がラストになって、スタイナーの死によって文筆を絶とうと決心したマルチェロの前に現れる。しかし意思疎通はできず、心を残しながら手を振って分かれ、ばか騒ぎの仲間たちの方へ去って行ってしまう。微笑む少女の表情がアップになる、そしてFINE。
なお『美の風』第六号に執筆した小生のモランディ体験を下記にアップした。お閑な方にお読みいただければ幸いである。
「モランディへの旅」林哲夫 『美の風』第六号
http://sumus.exblog.jp/13367492/