田中美穂『わたしの小さな古本屋 倉敷「蟲文庫」に流れるやさしい時間』(
洋泉社、二〇一二年二月一五日、デザイン=井上亮)。
ときおり理科系の名文家というのが出るもので、例えば寺田寅彦みたいな人だが、蟲文庫さんもまさにその系統に属する随筆の名手であろう。そういうふうに感じさせない、ふうわりとした分かりやすい文章が、人柄というか生き方そのもののようで、なんとも心地よい風がこの本のなかに流れているような気がする。
「置きっぱなしのブローティガン」や「文学全集一掃顛末記]だとか「聖書の赤いおじさん」あたりは大好きだ。でも印象的なくだりは「木山さんの梅酒」のここ。木山捷平の墓参に行こうということになった。
《今回同行してくれたKちゃんは、わたしよりひと回りほど若い友人で、東京の音大を卒業したばかりのピアノ教師なのですが、生まれも育ちも、笠岡とは山ひとつ隔てた井原市で、しかもおじいさんの代からという木山捷平ファン。地元を題材にした作品によく登場する備中弁も、当然ながら実にナチュラル。その素朴で愛らしい人柄といい容姿といい、本人には内緒で、「絶滅危惧種」に指定している、見本のような木山文化圏の娘さんです。
そういえばつい先日も、わたしの店でお茶をすすりながらこんな話をしてくれました。
「うちのおじいちゃん、最近歳とってきて、山でよう狐につままれよるんよ」
「狐につままれるいうて?」
「よう知っとるところで迷うたり……、雨が降ったら昼でも狐が出るけん山へ行っちゃいけん言うんじゃけど」
わたしは、「ふうん、それぁ困ったなあ」などと相づちを打ちながら、「おじさんの綴方」のはじめのほうで、その翌朝には疫痢で亡くなってしまう弟が、「もう往のう(行こう)や、兄さん。おそくなるとこんこが出るけん」と兄をせかす場面を思い浮かべました。
この辺りは、二一世紀に突入したいまでも、まだ辛うじて、こんなふうに狐が暮らせる場所でもあるのでしょう。》
初出『早稲田古本村通信』のエッセイが八篇収められている(加筆・補正あり)。もちろんそれは古書現世の向井氏の編集だが、何を隠そう、向井氏と蟲さんをくっつけた(いや、そういう意味ではなく。でも、そういえば、二人とも独身だけど)のはかくいう小生なのだった。向井氏の『早稲田古本屋日録』(右文書院、二〇〇六年)の装幀を依頼されたとき、蟲さんが谷中で撮影した猫の写真を使おうと提案したのである。二人はそれまでに一度対面はしていたようだが、一線を越えさせたのが小生なのであります。それからまる六年になる。本書はそこからスタートして結ばれた上質な果実なんじゃないかな、とちょっと自慢げに書き記しておく次第。
蟲日記にその当時のことが書かれているのでご参照あれ。
蟲文庫(ムシブンコ)蟲日記の2006年02月をクリック。
http://homepage3.nifty.com/mushi-b/