『エリック・ギルのタイポグラフィ』(多摩美術大学美術館、二〇一一年)が届いた。文字をデザインすることへのこだわり具合がひしひしと感じられる。
拓本(乾拓)もいろいろ掲載されており、そのなかにペール・ラシェーズにあるオスカー・ワイルドの墓碑銘も含まれていた。彫刻はジャコブ・エプスタインだそうだが、文字はエリック・ギルだったのだ。今はキス・マークにまみれているけど…。
http://sumus.exblog.jp/13011843/
「アンソニー・ジョージ・ニューの墓石」(1912)の拓本。
モノタイブ・コーポレーションの書体見本。ギル・サンズ(Gill Sans)。
ヘイグ&ギル印刷所の木活字印字見本(1934-35)。見事に刷れている。
左頁は出版カタログ『ゴールデン・コッカレル・プレス1926年秋』。右頁は『カンタベリー物語』(1929)の紙葉。
ギルの著書、左頁上より『邪悪な三位一体 UNHOLY TRINITY』(Hague & Gill, 1938)、『ズボンと最も貴重な装飾 TROUSERS AND THE MOST PRECIOUS ORNAMENT』(Faber & Faber, 1937)、右頁上右は『タイポグラフィ論 AN ESSAY ON TYPOGRAPHY』第二版(Sheed & Ward, 1936)、中および下は同初版(1931)。
邦訳書『衣裳論』(創元社、一九五二年)、『金銭と道徳』(創元社、一九五三年)、『芸術論』(創元社、一九五三年)、いずれも増野正衞訳。三冊連続で刊行しているところは創元社もやるじゃないか(印税を払わなかったというコメントもいただいたけれど)。
先日の略歴で気になったのはプロテスタントの牧師の息子でありながらカトリックに改宗したというくだりだった。本書収録の指昭博「エリック・ギルのカトリック信仰と私家版運動」によれば、プロテスタント国家のイギリスでも十九世紀にはカトリックへの回帰現象が生じていた。とくに同世紀末におけるカトリック改宗は《社会や芸術の現状・体制への批判であったといえる》そうだ。そしてさらに二十世紀初頭のギルにとっては社会主義思想と呼応するものであった。
《社会主義とカトリック信仰は、相互に影響し合い、強化し合ったとされる。産業社会(資本主義)の矛盾に対して社会改良を目指すという方向性で、両者は一致し、ギルはカトリック信仰に社会改革の道を見いだしたのである。後年、ギル自身が述べるところでは「自らが作り上げた宗教が、のちに古くからあるものであることがわかった」のであり、自らの理想がカトリック教会と同じであることを認識したのである。》
ギルの宗教観に賛同はできないのだが、それはそれとして、プロテスタントの聖書には挿絵がほとんど用いられなかったという事情を考えれば、モリスのケルムスコット・プレスをはじめ、ギルも含めて私家版運動によって生み出された書物が旧教の絵画性を好んだというのはじつに納得しやすい議論だと思う。