星加雪乃「お伽噺」。第三回帝国美術院展覧会の絵はがき。一九二一年に開催されている。星加雪乃(ほしかゆきの)は北野恒富の弟子。『北野恒富展』図録(東京ステーションギャラリー、二〇〇三年)によれば大正三年に恒富が「白耀社」を結成したときすでに入門していた。
《当時の新進女性画家で活躍が目立っていたのは恒富の門下とみなされていた島成園や吉岡千種だった。大阪では江戸時代を通じて南画や風俗画が盛んで、明治から大正にかけては橋本青江や守住周魚、河辺青蘭や大橋香陵など女性の画家が活躍していたが、近代的な美人画は、恒富が女性画家を巻き込みながら、大正時代に真に開花させたのである。》(小川知子「北野恒富と大阪の女性画家」)
《白耀社には「雪月花星」と謳われた星加雪乃、別役月乃、橋本花乃、四夷星乃をはじめ、生田花朝、宮田隆子、広野初枝などがいた。大正十一年の第一回白耀社展には、恒富の孫弟子にあたる島成園や木谷千種の門下生も加わって六十名が参加したが、そのうち何と、過半数の三十三名が女性だった。》(同上)
う〜む、まさに大阪画壇のタカラヅカだった。この勢いには風当たりも強かったようだ。
《この年[大正九年]石井柏亭の帝展評に「南画が殆ど大阪で持切られて居ると同時に今年の美人画も亦殆ど大阪風即ち恒富式で持切られて居ると云つてよい」という。柏亭は、恒富門下の樋口富麻呂《競馬香》を芸術的でない肉感的なもの、島成園《伽羅の薫》を邪道に入った下品な厭味なものと批判(「中央美術」)》(橋爪節也編年譜より)
雪乃のこの作品は、たしかに白耀社風ではあるものの「悪魔派」などと形容された島成園らの作風とは違って穏やかな冬のひとときが描かれており、色調も落ち着いていて(といっても印刷なのですが)好感をもつ。
第三回白耀社展(大正十三年)の集合写真より雪乃。
恒富と家族、白耀社の塾生たち(昭和初期、小阪の恒富邸にて)、後列中央あたりに雪乃。
昭和三十四年、恒富十三回忌に建立された恒富筆塚(高津宮参道、大阪市中央区)には「北野門下生葉束会」として十九名が挙っているが、もちろん星加雪乃の名前も刻まれている。