『箱組葉月』No.006(roco morrisgumi inc. 二〇一一年八月一日)。
『箱組』No.004はかつて紹介したが、いつもながら写真もいいし、収められた文章もいい。吉上恭太さんの「サウダージ ぼくとギターと音楽と」ますます快調。
『紙魚』No.44(書物屋、二〇一一年一〇月二〇日)。孜孜としてつとめるという仕事だ。《いよいよ「新潟県戦後五十年詩史」の執筆を始める時期がきたようだ。一九四六年から一九五五年までの十年間の県内詩人の動向は概ね把握できたと感じている。》と鈴木良一さんが巻末に書いておられる。
『AMENITY』第29号(静かな街を考える会、二〇一一年九月三〇日)。塩山芳明さんの「新・富岡「騒音」日記」が例によって痛快。夜九時の防災無線放送の中止が市長の交替によってアッサリ復活した。《金に汚く女好きと言われているが、前岩井賢太郎市長が、凄く立派な人物に思えて来た。民主党推薦候補だからとロクに背景を調べもせず、とんでもないロクデナシ野郎に夫婦で投票したモノと、遅すぎる反省を胸に……》。この述懐は全国でいろいろな人が抱いている気持ちに共通するのかもしれない。
辰野隆著作四冊。まったく知らなかった二冊と文庫で読んだ『フランス革命夜話』の元本と持っていたが手放した『凡愚問答』(角川新書、一九五五年一二月一〇日、表紙画=アンリ・ルッソオ)を頂戴した。『凡愚問答』の「政治家ぎらい」にはこうある。《少年、青年時代には、政治家という群をことごとく敵として憎み通した。壮年期から初老期までは、政治家群を軽蔑しつづけた。今後、死ぬまでは、そういうどぶねずみ群を唯々無視することになるだろうと思う》。辰野は明治二十一年生れ。好人物だったとはいえ、昭和二十二年まで東大の教員だった。政治家ぎらいにはこの世代のインテリ官僚の心情が要約されているようにも、その無力さが吐露されているようにも思われる。
コーヒーについても記されているのでメモしておこう。
《銀座のあるコーヒー専門の店で、小さなカップにコーヒー一ぱい七百円というのがありますが、それを飲む客があるそうですよ。
ーー江戸には昔から土一升金一升という諺もあるが、コーヒー一ぱい七百円とは、ぼりにぼったもんだね。
ーーところが銀座にはもう一軒古くからある喫茶店があるんですが、そこの主人は昔は科学者だった、まことに人品のよい老人で、その主人が言うのに、どんな佳い種を使っても、コーヒー一ぱいは五十円以上はいただけません、と断言しているんです。これは本音ですね。だから、七百円払ってコーヒーを飲む奴は馬鹿か狂人かということになるのです。》
文中《古くからある喫茶店》はきっと「きゅーぺる」だろう。七百円の専門店は、さてどこだろう? 高いコーヒーを出して有名になったのは「茜屋」だが、昭和四十年代に五百円だったらしいから(佐藤哲也『コーヒー入門』保育社、一九七四年版)、昭和二十年代の七百円はそうとう高額だったはず。