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草枕

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縮刷・夏目漱石から『草枕』(春陽堂、大正九年四十三版)を取り出して読んでみた。たぶん大学生の夏休み以来とかそのくらい間が空いての再読である。図版に掲げたのは『鶉籠』(春陽堂、大正十三年二十五版、「坊ちやん」「二百十日」「草枕」の三作収載)の津田青楓による扉および章扉(木版刷)。
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コメントいただいたようにさらっと若沖の掛け軸が登場するのは初めの方、宿に着いた晩の落ち着かない気分を叙したくだりである。

《横を向く。床にかかつてゐるの若冲の鶴の図が目につく。是は商売柄丈に部屋に這入つた時、既に逸品と認めた。若冲の図は大抵精緻な彩色ものが多いが、此鶴は世間に気兼なしの一筆がきで、一本足ですらりと立つた上に、卵形の胴がふわつと乗つかつてゐる様子は甚だ吾意を得て、飄逸の趣は、長い嘴のさき迄籠つてゐる。》

商売柄というのは主人公が画工(えかき)だから。伊藤若冲「立鶴図」は相国寺などに所蔵されており、まさにこの描写のような図柄である。《若冲の図は大抵精緻な彩色ものが多い》と書かれているが、漱石がいったいどこから若冲の情報を得ていたのか興味が湧く。今、辻惟雄とヒックマン編の若冲文献表を見てみると、執筆当時(明治三十六年)に入手できそうなのはこれだけである。

明治十七年  五百全 伊藤若冲 石亭画談初編巻之上
明治二十一年 若冲の画幅献納 絵画叢誌二十一
明治二十四年 国華一九号 鯉魚図解説
明治三十三年 国華一二九号 鶏図解説

むろん生家や知人宅にあったとか、書画屋などで実見したということも考えられようが、ともかく近代の若冲評価としては初期に属するかもしれない。

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『草枕』は文学論も含む芸術論の書で、ヒロインの那美(上図、ミレーの「オフェーリア」からイメージしたらしい)の境遇をめぐる画工とのやりとりの合間合間に持論が展開されている。ダ・ヴィンチから頼山陽の硯までいろいろな美術家や美術品の名前が飛び交うのも面白くはあるが、ちりばめすぎという気がしなくもない。英語の小説をすらすら読み、漢詩を空で作ったりする「えかき」が当時も今もいるものだろうか(勿論いないとは言えないけれど)。ちっとも絵は描かないし。

小説の読み方。

《只机の上へ、かう開けて、開いた所をいい加減に読んでるんです』
『夫で面白いんですか』
『夫が面白いんです』
『何故?』
『何故つて、小説なんか、さうして読む方が面白いです』》

小説の書き方。

《トリストラム・シヤンデーと云ふ書物のなかに、此書物ほど神の御覚召に叶うた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力で綴る。あとは只管に神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分に無論見当が付かぬ。かく者は自分であるが、かく事は神の事である。従つて責任は著者にはないさうだ。》

もちろんこれはローレンス・スターンの皮肉だが、『トリストラム・シヤンデー』は漱石の原点とも言える作品なので、あんがい真面目に漱石はオートマチスムみたいなことを考えていたかもしれない。そして芸術の本質。

《その苦痛を冒す為には、苦痛に打ち勝つ丈の愉快がどこかに潜んで居らねばならん。画と云ふも、詩と云ふも、あるは芝居と云ふも、此悲酸のうちに籠る快感の別号に過ぎん。》

この後に少し弁解がましい文言が続くのが惜しい。《快感の別号に過ぎん》とドライに言い切っておいて欲しかった。

漱石は明治十年に伊豆修善寺で吐血して以降、熱心に書画の制作にうちこむようになる。津田青楓によれば習うということが嫌いでまったくの独学独歩だったらしい(津田には見せていたようだが)。図版で見る限り絵よりも、良寛を手本にしたという書の方が見どころがある。見どころがあるなんていうと偉そうだけど、漱石は四十九歳で歿したのだ、とっくにその年齢を越えている小生としては、もっと続けていれば本物になったかもしれないと思うのである。
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by sumus_co | 2011-09-12 22:09 | 古書日録
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