林蘊蓄斎の文画な日々
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アニエールの水浴

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スーラ「アニエールの水浴 Une baignade à Asnières」(一八八四年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)。スーラは三十二年の寿命だったが、これは二十五歳の作。アニエール(Asnières-Sur-Seine)はパリの北西、セーヌ河の左岸にあり、十九世紀末にメトロ十三号線の開通とともに開けた新開地で当時はパリでももっともエレガントではない場所だったという。今見るとこの絵はけっこうエレガントのように思えるのだが、遠景にはうっすらと林立する工場の煙突が描かれていて、そのせいかどうか、この年のサロン(乱暴に言えば日本の日展のような展覧会)では落選の憂目を見た。

手前の背中を向けて寝そべる男性に寄り添って赤茶の犬(コッカー・スパニエル?)が描かれている。じつは犬が描かれている絵のファイルを整理していたところヒラリと落ちてきた図版で、そういえばスーラは「グランド・ジャッド」でも黒い犬を描いているな、などととりとめもなく考えていたら、フランス語では犬はなんて鳴くのだろうか? という疑問がむくむく湧いてきた。

山口仲美『犬は「びよ」と鳴いていた』(集英社新書、二〇〇三年四刷)によれば、昔の日本の犬は「ひよ」(大鏡)、「ヘイヒヨ」(悉曇要集記)、「びよびよ」「ウウ、ベウベウベウ」(狂言記)などと鳴いていたけれども、江戸時代になると「わん」(浄瑠璃)が現れる。そしてだんだんと「べうべう」(びょうびょう、遠吠えの音写?)が廃れて消えて行く(ごく一部の方言としてのみ残る)のだそうだ。山口女史は、野生の犬はオオカミに似た吠え方をするという宮地伝三郎の記述などを根拠に、この変化を犬の発声そのものの変化ではないかと考えておられる。ふ〜む。さすがに苦しいと思うがいかに。

犬は中国でもワン(汪)と吠えているようだ。『後漢書』などに出ている伝説の犬に「槃瓠(バンコ、パンフー)」がいるが、この名前はワン(パンかな?)とフーという犬の二種類の鳴声を合わせてつくられたように思われるし、実際、海南島にも黎族のワン(王)氏とフー(巫)氏の起りが犬の二種類の鳴声に起源をもつとされる伝説があるそうだから(大下卓『犬のフォークロア』)、いずれにしても中国ではかなり古くからワンと吠えフーと唸っていた。

仮に「びょう」が実際の音(声)を日本人が文字に直したものだとすれば、「わん」は中国文化を真似ることを善しとした江戸時代のインテリ趣味から慣用されるようになったのではないかな、などとも思われないでもないが……、念のため『字統』で「吠」を引いてみると音は「ハイ・ハク・バイ」、『説文』には「犬の鳴くなり」とあり《梵語の音訳語のときには吠舎[べいしゃ]・吠陀[べいだ]などの音でよむ》と説明されている。吠(ベイ)! これが「べう」になったのかも?

で、フランスの犬たちだが、ネットで調べてみると、オアー、ワーフ、ワフ、ウワフなどと吠えているらしい。

 OHAH! WAHF! WAF! WHOUAF!

これらはフランスの漫画に見られるオノマトペ。もっと昔はどう吠えていたのか、今日はそこまで調べなかったけれども(そのうち調べてみたいが)、「犬が吠える」を意味する動詞は「アボワイエ aboyer」というくらいだから「アボワ」だったのかな? ついでに猫は

 MIAOU ミアウ
 LAP-LAP ラプラプ(ミルクを舐める音)
 RON-RON ロンロン(喉をならす音)

だとさ。
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by sumus_co | 2011-08-04 22:36 | 古書日録
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