『澤』第十二巻第八号(澤俳句会、二〇一一年八月一日、表紙デザイン=山口信博+大野あかり、題字=永田耕衣)創刊十一周年記念号 特集/永田耕衣、を頂戴した。巻頭にモノクロの肖像および書斎の写真六頁、引き続いてカラー四十二頁の口絵(葉書・書翰・陶片・特装本・短冊・書・画)が展開していてまさに圧巻。これだけの質量と編集センス、例えば在りし日の『季刊銀花』の耕衣特集を彷彿とさせ、またそれとは別種の清潔さ(善くも悪くも)を感じさせる。
『澤』主宰者・小澤實宛の葉書五十二点は見飽きない。サインペンのようにも見えるが、悪筆をつきぬけて個性に変じた逸品。絵は好きじゃないが、書はいいと思う。ただし絵がないとつまらないという側面もあって、区別して考える方がおかしいのかも。
吉岡実編『耕衣百句』特装本。これに関しては渡辺一考「『耕衣百句』について」、間村俊一「梅が笑う」、小林一郎「永田耕衣と吉岡実 『耕衣百句』とその後」というエッセイも収められている。
高橋睦郎と小澤實の永田耕衣をめぐる対談は清々しい読み物。永田耕衣は同世代には冷遇されたようだが、一部の若者たちにはヒーロー(あるいはヒーラー)的存在だったということがよく分かる。驚き納得したのは次の発言。
《高橋 三菱製紙の高砂工場というのは、三菱のなかでもかなり重要な工場で、そこで学歴としてはこれということでなくて、しかも片手が不自由でナンバー3までいきましたからね。》
耕衣の実人生をぎゅっとおにぎりにしたような発言だが、この一面がなくては耕衣の俳句は存在しない。当り前のこと。もう一ヶ所。
《高橋 耕衣さんからは「あんたの解釈で、あの句は名句になったで」と言われたことが何度かあります。どういう解釈をどの句にしたか、あまりよく憶えていませんし、耕衣さんもどこまで本気でそう言ったのかはわかりませんけれども。ぼくが間違えて読んだりすると、「間違えてくれて名句になった」とも言いました。なにか、どこからか「虻」が出てくるという句を「虹」と読み間違えたときは、「傑作になった」って言われました(笑)。》
俳句は字数が少ないだけに作者によほど近しい者でも正しく解釈できるとは限らない。というか、正しいかどうかなどは問題でなく、誤読・誤解こそが作品の運命(本質)であって俳句はその典型と言えるのだろう。
対談の他にも多くのエッセイが収録されていて永田耕衣のいろいろな側面が見えて目を洗われる思いがした。ただひとつ
小野蕪子との関係にもう少し詳しく言及してくれる論考があればさらに有難かったろう(読み抜けていればごめんなさい)。高橋睦郎はさすが、こう発言している。
《蕪子はそうとうひどいことをしています。下手をすれば殺されてしまうような。あの人は恐い人です。》
最後に、本書を眺めていて気になった耕衣の俳句三つ。「秋の暮また春の暮」ってスピードオーバーでしょう。
炎天や十一歩中放屁七つ 『物質』
晩年を覗いてみよう葱の筒 『闌位』
白雲や秋の暮また春の暮 『殺祖』
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