『濹東綺譚』(新潮文庫、一九五三年三刷、解説=木村荘八)。元本は昭和十二年、岩波書店刊で古書価は1〜2万円。岩波文庫がいちばん出回っており、新潮文庫はそれでもまだ珍しい方か。以下有名な冒頭の古本屋のくだりを少し引用してみる。原文は旧漢字。繰り返し記号は文字に置き換えた。( )内はルビ。
《古本屋の店は、三谷堀(さんやぼり)の流が地下の暗渠に接続するあたりから、大門前日本堤橋(おおもんまへにほんづつみばし)のたもとへ出やうとする薄暗い裏通に在る。》
《わたくしは古本屋の名は知らないが、店に積んである品物は大抵知つてゐる。創刊当時の文芸倶楽部か古いやまと新聞の講談付録でもあれば、意外の掘出物だと思はなければならない。然しわたくしがわざわざ廻り道までして、この店をたづねるのは古本の為ではなく、古本を鬻(ひさ)ぐ亭主の人格と、廓外(くるわそと)の裏町といふ情味との為である。》
《「相変らず何も御在ません。お目にかけるやうなものは。さうさうたしか芳譚雑誌がありました。揃つちや居りませんが。」
「為永春江(ためながしゆんかう)だらう。」
「へえ。初号がついて居りますから、まアお目にかけられます。おや、どこへ置いたかな。」と壁際に積重ねた古本の間から合本(がつぽん)五六冊を取出し、両手でぱたぱた塵をはたいて差出すのを、わたくしは受取つて、
「明治二十年御届としてあるね。この時分の雑誌をよむと、生命(いのち)が延(のび)るやうな気がするね。魯文珍報も全部揃つたのがあつたら欲しいと思つてゐるんだが。」
「時々出るにや出ますが、大抵ばらばらで御在ましてな。檀那、花月新誌はお持合せていらつしやいますか。」
「持つてます。」》
こういう文章を読むと生命が延るやうな気がするね。