右から『聚落』第六号(倉尾勉、一九七二年四月一日)、『倉尾勉詩集 詩の旅』(世紀社、一九六九年一〇月二一日、表紙=たむら・はるよし)、『詩集 草分けの家』(倉尾勉、一九七六年五月一五日)、『七色パンフ 今泉省彦特集』(なないろ文庫ふしぎ堂、一九八八年一一月二八日)。某書店さんから頂戴した。深謝です。
倉尾勉(くらお・つとむ/くらお・べん)については田村治芳さんの回想録を紹介したときに触れたことがあった(
http://sumus.exblog.jp/6480495/)。『詩集 草分けの家』に掲載されている略歴を引用しておく。引用文はママ。
1950年 和歌山県南部の僻村農家の長男に生まる
1967年 詩をかきはじめる
1969年 県立田辺高校卒、上京
1974年 国学院大学史学科卒、父栄一死去
1970年詩集「詩の旅」世紀社
未刊詩集「凍る日の庭」
評論「わが村・村の幻想域をめぐって」
(世紀 72年11月、第8号)
「戦後への遡行と体験ー黒田喜夫試論(一)」
(九州大学新聞 73年1、2月号)
追記すれば二〇〇二年四月二二日に亡くなっておられる。歿後『倉尾勉追悼詩集 ― 1967-1999』(港洋社、二〇〇三年)が刊行された。上記『詩の旅』の発行人は山野真悟となっていて、検索してみると、エクスブログをやっておられた。
山野真悟事務所
http://kitaw301.exblog.jp/
《田村治芳君
今日美学校で田村君に会った。『彷書月刊』編集長。何年ぶりかねぇ、という話になって、数えてみたらおよそ35年は過ぎていた。40年前の出会い以来2年間ほぼ毎日会っていた文学仲間というか、古本仲間。もうひとり倉尾勉というのがいて、3人で同人誌をやっていた。倉尾は7年前になくなった。3人とも同じ年で、倉尾は私と誕生日も一緒だった。》
二〇〇七年三月一日にはこのようにある。
《ところでこの『彷書月刊』編集発行人田村治芳は私の美学校時代の同期です。早熟な文学少年でした。貸本屋さんをやりたいと言った彼に古本屋さんを勧めたのは私です。だって貸本屋さんという職業がなくなろうとしていた時代でした。仲はいいが傷つけ合うというか、まあ、そんな間柄だったので、多分もう30年はお会いしていません。先年、共通の友人であった倉尾勉の遺稿集の口絵に私が19才頃描いた倉尾のポートレイトを入れてくれたのは多分田村君の配慮でしょう。》
など、他にも田村・倉尾との青春時代が回顧されている文章もアップされているので、ご興味のある方は訪問していただきたい。それにしてもこれらの冊子、どれもこれも、不思議な磁力をもっている。
なお今泉省彦については「
今泉省彦さん、逝く」参照されたし。
田村さんといえば、昨日届いた古書目録『莢』第二号(キトラ文庫、二〇一一年二月二二日)にも安田さんが「古本の行方」という田村さんの追悼文を載せておられた。安田さんは新宿ゴールデン街で「トウトウベ」という店をやっておられた頃に田村さんと初めて出会ったのだそうだ。その後、奈良に戻られてご自身が古本屋を開店されることになる。
そうそう左端は『吉村昭研究』第十三号(吉村昭研究会、二〇一一年三月一日)、こちらも毎号熱っぽい。吉村昭はほとんど読んでないから、ちょっとトライしてみようかという気持ちになる。