久々に佐野本の紹介ができる。まずは江原順『モンパルナス動物誌』(ノーベル書房、一九六九年一一月二五日)。集成ではp64〜65にまとめておいたなかの一冊。赤いフランス語の文字と黒い日本語の文字という組み合わせが今でも新鮮だ。
内容は六〇年代のパリの裏事情のようなシモネタを含む文化的ゴシップ集(じつは真面目、少々マジメ過ぎ)。叺(かます)氏という分身(?)キャラクターをつかって実際の見聞・体験にもとづく話を面白可笑しく読まそうとしている。
《ーーきみ、「アンガージュマン」って、どういうことか知っているのかい?
江原氏は叺氏のこの質問にむっとしたが、考えてみれば、このことばほど、多義的にみえてこちらを混乱させるものはない。やっとの思いで、
ーーシチにいれることだろ?ーーといった。
ーー質入れするだって?
今度は叺氏があわてた。やはり、それほど知っているわけではないらしい。やっと頽勢からたちなおって、江原氏はいった。
ーーそうさ、「抵当にいれる[ルビ=ミ・ザンガージユ]することさ。だからな、サルトルの「アンガージュマンの文学」といいうのはな、多分な、自分をなにかのために[七字傍点]「抵当にする文学」「質入れする文学」といったほうが、「社会参加の文学」よりはでたらめじゃないわけさーー江原氏はきょとんとしている叺氏のためにことばをついだ。》
たしかにアンガージュマン(engagement)は「約束、誓い、契約、参加申込(エントリー)、入れること、交戦、試合開始、(知識人の)社会政治参加、質草の受取証、質入れ」などいろいろな意味があるようだ。動詞はアンガジェ(engager)で、古い用法では「質入れする(メトル・アンガージュ mettre en gage。ミ・ザンガージュ mis en gage は一人称単数単純過去形または過去分詞形)」というのがその第一の意味だったらしい。当然ながら何かを質(gage)に置くということは約束するということになる。江原氏は「アンガージュマン」する思想(自分を質入れする、すなわち原理で縛って行為する)はべつに新しくもなんでもなく《ヨーロッパ思想のオーソドクシイだと思うな》とまとめている。
もう一冊は島田清次郎『地上』(新潮社、一九五七年一〇月二〇日二刷)。解説は十返肇。本はともかく、こんな珍しい栞が挟んであった。樹皮(桜?)を薄いコルクで裏打ちしている。珍品か?