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coto 20最終号。500円。キトラ文庫(630-0256 生駒市本町6-2)発行。小生の連載「古書へんぺん記」も第五号から十六回続けさせてもらった。 05 雑誌探し * 06 蔵書死すべし * 07 古本屋を怒らせる方法 * 08 神の足を持つ人々 * 09 関口良雄と洲之内徹 * 10 腰のあるうどんような高松の底力 * 11 ヤフオク、負けるが勝ち * 12 ある日のみやこめっせ * 13 犬の記憶 * 14 わたしの家ではないけれど 15 神保町きんいつ五人男 16 ボマルツォのとびら開く 17 ふるほんは宝物だ 18 倉敷・蟲・フルホン 19 硝子戸の中の銀の匙 20 ローラン・トポールのパリ [*印は『古本屋を怒らせる方法』(白水社)に収録] 身辺の雑事と古本のことをずっと書いて来たので、ミカンの死、引越のための家探し、テレビの撮影、倉敷やパリへの旅など、自分史のようになっていることを改めて感じた。好き勝手書かせてもらった『coto』に感謝です。 『ちくま』、『WALK』、『生活考察』その他にもいろいろ書いてきたので『古本屋を怒らせる方法』の続編『古本屋をもっと怒らせる方法』くらいは出せそうだが……。 *** ローラン・トポールのパリ 古書へんぺん記(その十六) 白亜のサクレクールを戴くモンマルトルの丘。おのぼりさんよろしくキョロキョロしながらその中腹にある一軒の古本屋を目指していた。メトロ二号線のピガール駅を出てクリシィ大通りで怪しげな客引きを逃れ(ヤバい店が立ち並ぶ界隈なのだ)狭い路地の坂を登って右に折れた。一度通り過ぎてあわてて引き返し目的の古書店の前に立ってみるとショーウィンドウには古い『PLAYBOY』などのエロ本が並んでいる。ひょっとしてあぶない本屋? と思いつつ入店。棚はオーソドックスでひと安心。三十代半ばぐらいの店主に探求書のメモを見せる。ネット検索でヒットしたローラン・トポールの本。即答「売 れちゃってるね」。いきなりの沈没。軽いショック。そのまま立ち去り難く他に何かないかどうか尋ねてみる。「ないね。トポールを見つけるのはとても難しいよ」。ふたたびドッボーン。「とても難しい (トレ・デュール)」が胸に突き刺さった。前途多難だこりゃ。 どうしてトポール(Roland Topor 1938-97)なのか? かれこれ二十数年前のことになる。神戸元町通一丁目にあった丸善の洋書売場でアルバン・ミッシェル版の『トポール』(一九八五)に出会った。この画集はミユンヘンで開催された回顧展を機に編集されたものである。大判で値段もたしか二万円近くしたのではなかったろうか。カミナリに撃たれたようなショックを受け大奮発して購入した(正確には一旦帰宅して豚の貯金箱を壊し何日か後に「まだ売れていませんように」と祈りながら買いに走った)。ペンによる線の繊細さと確かさ。ブラックで辛辣なテーマと対照的な色調の澄明さ。サド・マゾヒズム。何ともすさまじい現代のブリューゲルがいたものだと驚いてしまった。それまでもルネ・ラルーとの共作アニメーション「フ ァンタスティック・プラネット」などでトポールの名前くらいは頭の隅にあったような気がするのだが澁澤龍彦が気に入って編集した『マゾヒストたち』(薔薇十字社、一九七二)や小説集『幻の下宿人』(榊原晃三訳、早川書房、一九七〇)や『リュシエンヌに薔薇を』(榊原晃三訳、早川書房、一九七ニ)や『カフェパニック』(小林茂訳、新潮文庫、一九八八)などの著作についてはすべて『トポール』画集以降に知ったのだった。要するに時代遅れのトポール・ファンと相成ったしだい。 今度のパリ旅行が決まってからふとローラン・トポールの名前が脳裡に蘇った。何年かぶりに画集を取り出した。パリでトポールに関する本を買ってみるという考えがとても素晴らしいものに思えてウキウキし てきた。おもむろにインターネットでトポール情報を集め始めた。フランツ・ヴェラン著『ローラン・トポールあるいは絞殺された笑い』(FRANTZ VAILLANT "ROLAND TOPOR OU LE RIRE ETRANGLE" BUCHET/CHASTEL, 2007)という伝記が出版されているようだからこいつを一冊手に入れよう! そんな安直な思いつきをもってパリへやって来たわけだ。一件目の古本屋ではアテが外れたがそれはさて置いておいて新刊書を押さえるべく大型書店ジベール・ジョゼフへ向った。ソルボンヌに近いサンミッシェル大通りとエコール通りの交差点周辺に五軒ほど展開している。フランス全土にも支店がある。まずは本館の案内窓口でちょっとこわもてのマダムにトポールのリストを見せた。あらかじめ同店のサイトで調べておいた在庫リスト。すべてが店頭にあるとは思えなかったので滞在中に取り寄せてもらえるよう早めに出向いた。マダムは「小説?」などとつぶやきながらカチャカチャやった後吐き捨てるように「プルミエ・ エタージュ」(二階)と言う。エスカレータで二階へ。上がってすぐのところで本を並べていた店員にリストを見せる。開店間もない時間だったため店員たちが総出で補充などの作業をしている(開店前にやっとけよ)。彼はデスクのコンピュータで調べて「ドゥジエム・エタージュ」(三階)という。素直に三階へ。三階で尋ねると「小説? それもと伝記?」とちょっとものの分かるおネエさんが問い返すので「伝記です」と答えると「トワジエンム・エタージュ」(四階)へ行けという。……。四階で棚に本を詰めている若い女性に尋ねる。すると「これはあの人に」といってもう少し年増の女性店員を指さした。彼女もディスプレイに向ってカチカチと検索して「伝記は取り寄せ、こっちは絶版ね。でもオカ ジオン(古本)で在庫があるかもしれないわ。その次の二冊はプルミエ・エタージュ(二階)にありますよ」と事務的に説明してくれた。むろん予想していたので『ローラン・トポールあるいは絞殺された笑い』の取り寄せを頼む。一週間かかるという。名前のつづりを求められてメモする。 「HAYASHI」 「ムッシュ・アヤシ?」 フランス語ではふつう「H」を発音しない。だから「ハロー・キティ Hello Kitty」は「エロキチ」である(これほんと)。指示された二階へ。そこには画集などのヴィジュアル本が置かれている。そこのお兄さん(さっきとは別人)は「T」の棚を探して『TOPOR dessins paniques』(HAZAN, 2009)を取り出してくれた。もう一冊は見当たらないとのこと。とにかくなんとかトポールにたどり着いた。 アヴニュー書店はパリ市の北の外れクリニャンクールにある。蚤の市が開かれることで有名。トポールの検索でひっかかった店だが、まったく期待せずに向った。一冊だけでも買えればいい。メトロ十三号線のガリバルディ下車。さびれた地方都市のようだ。紙くずが風に舞うなかをぶらぶら歩いて十分くらい。高速道路沿いにかなり広い範囲に古物市がたっている。このあたりは路上に勝手に並べているという感じ。この道でいいはずだがと心細くなり始めたころにやっとアヴニュー書店がポツンと建っているのを発見。両側の建物は取り壊されてしまっている。入口にはペ ーパーバックがずらり。雑誌のバックナンバーもドカドカ積み上げてある。意外に期待できそうな予感がしてきた。とにかく入ってすぐレジの女性にトポールはないかと尋ねる。例によってコンピュータで在庫チェックして図録や画集の並ぶ棚に案内してくれた。あるある、あります。ジベール・ジョゼフで買った『デッサン・パニック』もそこになかった『TOPOR TRAITS』(COLAGROSSI, SCALI, 2007)も。そして『PRESQUE TOUT TOPOR』(GERVEREAU, EDITIONS ALTERNATIVES, 2005)もある。重さも考えつつ四冊ほど選んでレジに持って行くと彼女は「ポスターもあるわよ」と裏手を指さした。ポスターとは思いもよらなかった。期待がふくらむ。 店舗は奥行き二十メートルくらいありそうな一棟と並行してもう一棟、やや幅の狭い部屋が二つ。高価そうな装幀の古典籍が並ぶ一室。もうひとつは美術関係。画集や図録・ポスター・美術雑誌・版画などやや古めのもの。ポスターのラックには先客が張り付いている最中だったのでひとわたり美術書の棚をながめて待つ。するとさきの女性がやって来てさっと一枚取り出してくた。とびきりいい。『OPUS INTERNATIONAL』No.7(GEORGES FALL, Juin 1968)の広告ポスター。それから階段のところに貼ってあったエコール・デ・ボザール(国立美術学校、トポールの母校)でのトポール展のポスターを指さした。これはいまひとつかなと思ったが「二枚いっしょなら、値引きするわよ」というので両方もらうことに。「たしか『OPUS』には他にもトポールの記事があったはずだわ」と言うので四五十冊並んでいるのを手早くチェック。残念ながら表紙画はない。一コマ漫画はいくつか見つかったがそれを全部買い占めていてはキリがなかろう。レジにポスターを持参すると彼女は「ほら、この『OPUS』があったわ!」と表紙がポスターとほとんど同じデザインの一冊を見付けてくれていた。なかなか優秀な店員さんだ。そして「そうそう『BIZARRE』にもトポールが載って いたはずよ、そこにあるからご覧なさい」。たしかに『BIZARRE』(これはジャン・ジャック・ポヴェールが版元の雑誌)が数十冊揃っている。こちらも手早く探す。するとなんとトポールのデビュー作が表紙を飾った第九号があるではないか。「ヤッホー!」と小躍りしつつトイレを借りる。 一息つくのではなく胴巻きから200ユーロ札を取り出すため。このお札はどこで出しても嫌がれる。きわめて崩しにくい札なのだが今回はポスター二枚でご登場を願うこととなった。一旦精算してファクトゥール(レシート)を書いてもらっていると白髪のどうやら主人らしい人物が近づいてきた。彼女が「このムッシューがトポールを探してるのよ」とかなんとか言ったらしい。「トポール!」それならという感じでゴソゴソッ と棚から探し出してきたのが雑誌『LUI』での連載をまとめたらしいトポールの挿絵入り料理本だった。 「あら、それがありましたか」 「まだまだ耄碌しとらんよ、フォッフォッフォ」 「料理の棚にあったのでうっかりしたのよね」 彼女は小生に向って弁解したが「いやいや、あなたも十分ご立派です」。老主人は「まだ他にもあったぞ」とぶつぶつ言いながら倉庫へ入って行って段ボール箱をひとつ抱えて出てきた。ギョッとする。もしこれが全部トポールだったら(冷や汗)。箱を開いて、分厚い本を取り出す。 「おや、こりゃアラゴンか、違ったな」 ふう。助かった。今思えば主人がイメージしたのはマルセル・エイメ集の六冊本ではなかったか。それなら表紙 はもちろん挿絵もたくさん入っているが。いずれにしても大当たりの一日だった。 宿に戻ってアヴニュー書店で買ったトポールのうち『TOPOR TRAITS』(COLAGROSSI, SCALI, 2007)を開いてみる。トポールのデッサンの他に彼と親しかった人々の回想や写真を集めた追悼集のようなもの。寄稿者のなかに画家大月雄二郎の名前を見つけて驚く。大月氏の個展は日本で何度か見たことがあった。エッセイのタイトルが「コルボオ」。大月氏がセーヌ通を歩いているとカフェ・ラ・パレットのテラスに座っているトポールを見つけた。(以下意訳) ト「明日何するの?」 大「何も、とくに」 ト「明後日は?」 大「にたようなものさ」 ト「インスブルックへ仕事で行くんだけどさ、一人で電車で行くのはかったるいのよ。どう、車でいっしょに行かない? 二三日の間だよ」 大月氏は三秒と躊躇しなかったそうだ。そしてトポールのB M(BMW=ベー・エム・ドブルヴェ)でエッチラオッチラとオーストリーへ向ったのである。到着しても当り前だが大月氏は何もすることがなくトポールの洋服のほころびを縫ったり車を走らせて湖のほとりでうたたねをしたしりた。そのとき夢かうつつか巨大なコルボオ(大鴉)が数十羽もたち現れた。氏は鴉たちに向って「ドイツ語を話すのか?」と尋ねると鴉は答えた。 「Ya, ya, naturlich !(カー、カー、当り前だ!)」 トポールは大月氏からその話を聞くと「naturlich !」というセリフをいたく気に入って大笑いしたそうだ。 伝記が届くのを待つ間にトポールが生まれた街をぶらついてみた。メトロ十一号線のゴンクール駅下車歩いて数分。ジャック・ルヴェル・テシエ通(かつてはコルボオ通と呼ばれていた!)。コルボオ通にはユダヤ人が多く住んでいたそうだ。何の変哲もない通りである。下町といったところか。トポールの父母はともにポーランドのヴァルソヴィ(ワルシャワ)出身のユダヤ人である。父は収容所に送られたにもかかわらず辛ろうじて逃げ帰った。トポールは母とともにドイツ軍占領下のフランスで逃亡生活を余儀なくされた。その陰惨な少年時代こそが彼の創造の源となっている。 生まれた場所の次は眠っている 場所。モンパルナス墓地を訪れた。快晴だが空気は冷たい。たぶん気温八度くらいか。墓石は通路に面しているので見つけやすかった。参拝者も少なくないようだ。一畳くらいの青銅板で覆われた墓の上には蝋燭やメモがいくつか置かれている。後日読んだ伝記によればトポールは倒れる前夜に大月氏らと痛飲した。大月氏がどうしてそんなに飲むんだと尋ねたところ「今日は自分が好きになれないんだ」と答えたという。そして翌日(一九九七年四月十一日)の夕刻。待ち合わせに来ないので友人が心配して駆けつけるとアパルトマンの床に倒れていた。弱り切っていたがこうつぶやいたそうだ。「だいじょうぶ、昨日ちょっと飲み過ぎた……」。救急車で運ばれた病院で昏睡状態に陥り四月十六日早朝に永眠。直 接の死因は脳血管障害。五十九歳。当時トポールは永年にわたる税金滞納で絞り上げられ一文なしだった。友人で映画監督のパスカル・トマが文化相に電話をしてモンパルナス墓地に埋葬場所を確保した。カンパによって葬儀の準備が整えられた。十九日午前。空は灰色で少し寒かった。雨になりそうだった。両親、友人、恋人、見知らぬ人々、数百人が集まった。音楽が奏でられ歌が終り埋葬の時が来た。大月氏はトポールの好きだった葉巻煙草エピキュールの一掴みを投げ入れた。三年後にトポールの版画「動かない旅人」がブロンズに鋳造されて墓を飾った。 帰国の数日前にようやくトポールの伝記を手に入れることができた。予定された日の翌日ジベール・ジョセフの五階で受 取った。ただしもう一冊の絶版本は渡してくれなかったので在庫していなかったのだろう。深くは問い詰めなかった(買った本も増えていたし)。支払いのために一階の集中レジへ行くと窓口が五つくらい開いておりそれぞれ十人ていどの行列ができている。こんなに本が売れるのかなあと不思議なくらい。じつはどこでも嫌われる二〇〇ユーロ札をここで崩そうという魂胆もあってそういうときには男性の方がいいかなと思いつつ若い男性のレジ係のところに並んだ。すると誰かがトントンと背中をつついた。振り向くとアフリカ系の警備員(背広姿のボディガード)が「あっちでも精算できるよ」というふうにアクイユ(受付)を指さすのだ。そこには例のぶっきらぼうなマダムがふんぞりかえっている。カウン ターは少し高くなっていておばさんも少し高い椅子に座っているので威圧されてしまう。やばいなーと思いつつ警備員の好意を無にするのもなんだし早く済みそうでもあるしそちらで支払うことにした。定価二十三ユーロのところに二〇〇ユーロ札を出す。案の定マダムは露骨に嫌な顔をした。 「小さいお金はないの!」 吐き出すように言う。じつは五〇ユーロ札もあったのだけれどそれは掌で隠しつつ「あいやー、一〇ユーロ札しかないあるよ」と財布を拡げて見せた。仕方ないわねとか何とかブツブツいいながら銭箱の二〇ユーロ札をかき集めておつりをくれた。なぜか本を入れたジベール・ジョゼフのポリ袋が皺だらけだった。
by sumus_co
| 2010-12-06 14:33
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