山村酉之助『美しき家族』(椎の木社、一九三五年一一月二〇日)。表紙背(文字は金箔押)および函。函。奥付。芦屋のちいさな古本市のM堂にて。検索してみるとMさんが《
天神さんで『美しき家族』山村酉之助椎の木社昭和10年函を見つけました。》と旧daily-sumus(2005年10月9日)に書いてあった。
山村酉之助(やまむらとりのすけ 1909-1951)の名前に聞き覚えがなかったので、芦屋の会場では一旦パスしたが、どうも気になるのでMさんに連絡して確保してもらった。
椎の木社については『初版本』(人魚書房、二〇〇七年)に征矢哲郎「「椎の木社」の本」という論考が掲載されてにわかにはっきりしてきたように思う。百田宗治が始めた詩誌『椎の木』が椎の木社のベースであった。
第一次 椎の木社(百田宗治) 1926.10〜1927.09
第二次 椎の木発行所(阪本越郎) 1928.11〜1929.02
第三次 椎の木社(百田宗治) 1932.01〜1936
第四次 椎の木関西編集部(山村酉之助)
第五次 (百田宗治)
そして
伊藤整『詩集 雪明りの路』を一九二六年一二月一日に発行して以降、内田忠『寸』(一九四一年八月一〇日)まで、征矢氏による刊行書目には七十冊の単行本が挙っている。山村酉之助も『フオスフオルの書』(一九三二年一〇月一〇日)と『晩餐』(一九三四年二月一五日)そして『美しき家族』と三点刊行されている。征矢氏によれば
《彼は大阪で『椎の木』の周辺雑誌である『文章法』を発行し、百田が『工程』(昭和十年四月〜昭和十一年十二月)を始めるために『椎の木』の編集を降りたときには「椎の木関西編集部」として刊行を引き継いだ。》
とのことである。詩人としてどうなのか、ということは分からない。奥付の検印が美しい。著者名にちなんだ鳥の模様。左の印はキリシタン時代に似た図柄があったように記憶する。「いくばく」より。
大阪の丸善の屋上で
西の空を眺めてゐると、不意に、
かさなつた雲の間から一羽の鳥が見えて、
頭上をかすめながら東の方へ翔んで往つた。
私の眸はもうその歴程を覚えた。
別に不思議でもないのだが、
秘密が隕ちて来さうにも思へた。
あの鳥は偶々そのコオスを翔んだのであらう。
空はモナ・リザのやうに微笑してゐた。
あの鳥が生れそして死んでゆく領域。
微笑の中ではいく山河を越えて来た羽交も、
寒々しく音する他はない。[下略]