あちらこちら再読して、やっぱり面白いなあ、いいなあとつぶやいている。保昌先生が出てくる。小生は大学で保昌先生に「文学」を習ったのだ。美術大学にも「文学」の授業はある(選択だったと思う)。これについては「さらば、父たち」というエッセイを『サンパン』の保昌先生追悼号(二〇〇三年三月一日)に書かせてもらった。
保昌先生は何度も登場するが、たとえば「遠いところ」。石井潤について、そして田坂乾・ゆたか夫妻について書いた後、
《ずっと後になって、保昌さんにそのことを話したら、保昌さんはせっこむように、そうよ、その田坂夫人が石井君の姉さんだよと言った。》
とつづくのだが、この《そうよ、》がいかにも保昌先生そのままで、その江戸っ子ぶりを思い出させてくれる。田坂ゆたかは水彩画家。父親の石井柏亭とそっくりな、そしてちょっと軽い、水絵を描く。検索してみると You Tube に与謝野晶子のものまねをする田坂ゆたかという映像があった。石井柏亭も与謝野晶子も西村伊作の文化学院で教えていたから親しかったのだろう。
他に、矢部堯一という尾崎士郎を関口良雄に紹介した人物にも興味をもった。
《中野重治との関係から初めプロレタリア文学に進み、ナップ結成の時は書記長になった(初代書記長)。専門はドイツ文学。翻訳の他、尾崎士郎の年譜なども作っている。参考文献:『大田文学地図』(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年)P.64-65》
尾崎に関しては『噂』第2巻第7号(噂発行所、一九七二年七月)「尾崎士郎=好かれすぎた男の『人生劇場』」南雲今朝雄・矢部堯一・岡本功司・小林博もあるようだし、全集月報にも寄稿している。また若き日に矢部は『カスタニエン』に参加していたようだ。
ケステン:Kesten, Hermann「或る恋人たちの死」飜訳 改巻1
「無題(ドイツ文学と僕)」改巻2
ケステン「朦朧たる動機」飜訳 改巻4
『四季』にも次のような飜訳を発表しているらしい。
第24号 昭和12年2月号
アンデルセン短編
第25号昭和12年3月号
秋 (ヘッセ)短編
第26号昭和12年5月号
旅行鞄 (シュミットボン)短編
第27号昭和12年6月号
モロツコにて (ヘルマン・ケステン)詩
第42号昭和13年12月号
「愛の本」抄 (ストリンドベルヒ)詩
これを探している時に「大山定一資料室」というサイトを発見した。大山定一の御子息(次男大山襄氏)が運営されているようだ。『ドイツをあるく』(知道出版、二〇〇四年四月三〇日)の増補が行なわれ資料もカラーでアップされている。大山は一九〇四年四月三〇日、香川県仲多度郡琴平町生れ。菊池寛や壷井栄だけじゃない、讃岐からもけっこうシブイ文学関係の人材は出ているのだ。
……と、脱線につぐ脱線で、まさに昔日の客の姿をあれこれ楽しませてもらった。