『文芸大学』第一巻第一号(大学文化社、一九四七年一二月一日、表紙絵=笹川由為子)。本日、ダンデライオンの出品物より購入。表紙絵の笹川由為子についてはタケミヤ画廊で一九五二年四月に小川孝子と二人展を開催していることだけしか分からない。小川は村井正誠夫人。この夫婦は文化学院大学美術科第一回の同級生だったそうだ。自由美術からモダンアートへという流れなので、笹川もそのいずれかに属していたか(?)。表紙画だけ見るとアメリカ風のデッサンのように思われる。
北園克衛の詩「夜」。見開きに掲載されているうちの右頁(両面撮ると文字が見難いため)。全詩集を架蔵しないので参照できない。乞ご教示。
執筆陣は北川冬彦(詩)、岡本潤(詩)、大庭さち子、江口榛一(詩)、北園克衛(詩)、杉浦伊作(詩)、梅崎春生、長田恒雄(詩)、安藤一郎(詩)、三島由紀夫、江間章子(詩)、野間宏(詩)、北條誠。……昭和二十一年の文壇の話題の若手、「暗い絵」の野間宏、「桜島」の梅崎春生、「寒菊」などの北條誠、そして売り出し中の三島由紀夫など、この網の掛け方がなかなかのもの。
編集兼発行人は竹井博友(1920 - 2003)。後の地産グループ総帥。また徳間書店の事実上の創業者。栃木県黒磯町(現・那須塩原市)に生まれ、明治大学政治経済学部を卒業後、一九四三年に読売新聞社入社。読売争議の際には急進的な組合側の急先鋒となっていた。一九四六年に読売新聞を退社して「日東新聞社」、「アサヒ芸能新聞社」(現・徳間書店)のオーナーを務める(ウィキによる)。『文芸大学』以前に『大学』という雑誌を出していたことが「編集日誌寸断」に見えている。
表4広告に「博友堂」という紙商と『アサヒ芸能新聞』が出ているが、いずれも『文芸大学』の発行所と同じ住所(東京都港区芝新橋二ノ一)。
1巻1号昭和22年12月
2巻1号昭和23年1月
2巻2号昭和23年2月
2巻3号昭和23年3月
2巻4号昭和23年4月
日本近代文学館に五冊揃っているようだ。竹井は一九五一年から不動産業に乗出し、大阪讀賣新聞創刊にかかわるなど読売の大番頭務臺光雄の黒子と呼ばれた。バブル期には仕手グループの有力な資金源となり、脱税で実刑を受ける。波乱の人生からすれば、『文芸大学』かわいいものだ。