『松原敏夫資料集』を頂戴した。《松原敏夫の文学が、どうか多くの人の心に残ることを願っています》と冒頭に大書されている。忘れられた作家である。いや、作家だったかどうか、すくなくとも職業作家ではなかった。年譜を簡単に引用しておく。なお同姓同名の沖縄の詩人、三文字同じで本名同じの石川県の詩人の方がおられるが、別人。
明治38 兵庫県出石市(現豊岡市)に生まれる
昭和2 中央大学経済科卒業
昭和4 神田区役所に勤める
昭和6〜7 『新形式』『貿易風』に作品を発表
昭和8〜18 『麒麟』『コギト』『散文』『大法輪』『浄土』に作品を発表
昭和41〜42 『転位』に作品を発表
昭和42〜60 個人雑誌『ふらて』(1〜37号)『文人』に作品を発表
昭和61年7月20日死去
著書
昭和54 『句集ぬくめ酒』私家版
昭和55 『梅寒し』ふらて社
昭和57 『老愁』ふらて社
昭和61 『話さなかった話』ふらて社
青年時代には北園克衛と知り合って『新形式』の同人になったり、『麒麟』同人になったり(同人は他に田畑修一郎、中谷孝雄、小田嶽夫、蔵原伸二郎、古木鉄太郎、川崎長太郎らの錚々たるメンバー、といっても現在彼らがどれほど読まれているかははなはだ疑問だが)とそれなりに活躍していた。
戦後すぐのころ浅見淵に『早稲田文学』に書けと勧められたらしいから、書き続けるべきだったのだろうが、文学から離れてしまった。区役所(神田区役所は後の千代田区役所)を定年退職してからふたたび筆をとり、同人雑誌に参加するあてもなく、黙々と個人雑誌を作っては尾崎一雄や阿部昭らに送りつけていた。阿部昭は自身の小説に通じるところをそれなりに評価していたようだ。尾崎も本にまとめたらと言ってはくれたが、出版社を紹介してくれるわけでもなかった。まさに「文学老年」の青春である。
本書には「梅寒し」抄と「話さなかった話」抄が掲載されていて、どちらも私小説風、というかオレオレオ小説ふうで悪くない。後者は、城崎で志賀直哉が串刺しにされた鼠を目撃するところに少年のころの自分自身が立ち会った、そんなことを後年になって思い出し、志賀直哉に会いに行こうとするが……というようなストーリー。これを藤枝静男に送ったところ、志賀のリアリズムを証明する貴重な証言だと言うことになって『新潮』で紹介し、阿部昭も『群像』で絶賛した。
ところが、じつは、この小説、まったくの小説だった。こうだったらいいなあ、という願望を描いたフィクションだったのだ。あまりに藤枝が昂奮しているので打ち明けるのが遅れてしまった。藤枝は訂正記事を書き、尾崎一雄が批判的な文章を発表した。それは昭和五十六年晩秋のちょっとした文壇ニュースになったようだ。
それにしても、忘れられた作家の記事をこれだけ丹念に集めておられる方(ここではお名前は伏せておく、御迷惑をおかけしてはいけないので)の執念にも敬意を表したくなる。むろん好きでやっておられるのだろうが、誰にでもできることではない。