『性相』第四十三号。明治四十五年四月三日発行(毎月一回発行)。編輯人=播磨辰治郎、発行人=石嘉六、発行所=性相学会(東京市芝区三島町十一番地)。
性相学とは石龍子が創始した学問(?)のようだ。本誌には三月九日の奈良新聞を引用して次のように書かれている。
《石龍子とは誰でも一種の雅号のやうに思ふだらう、僕もさう思つて本姓はと聞くと、姓は石、名は龍子だといはれてアツト驚く、祖先は石田三成で、三成没後播州池田に隠れ、石とも田とも名乗つて居た、明和宝暦の頃、大阪に出で、終に江戸に出で、観相家となる、時に陰陽師の本家土御門から故障が出て、裁判となり三年の久しきに及んで終に石龍子の勝訴に帰し、以来は日本に於ける観相家の総本家となつて居る》
《石家は代々医を業として居るとのことだ、現代の龍子は久留米出身で、石家に養はれた人だ、和漢の観相から西洋の骨相、占星術等を修めること深く、終に之を科学的にまでしたのだ、著書も沢山あり、法曹間では犯罪者研究の為め、盛んに性相学が持囃され居ることは、人の熟く知る所だ。》
《石龍子曰く性相学の目的は性相を判断して之を言ひ中るのでない実に性相上より人の長所を見て之を向上発達せしめ短所を見て補はしむるに在る》《性相は普通観相と一致するも、観相を主とする所謂卜者流ではない、人間をして神人合一の境にまで向上せしめんとするを極地とする、即ち終に宗教と一致さしめんとするものだ》
表紙に英文誌名「THE PHRENOLOGY」とあり、肖像の下には《Dr.Gill. Discoverer and Founder of the Science of Phrenology. 1758-1828》とある。
フレノロジィとは何か? ギリシャ語のフレーン(心)とロゴス(知識)から命名された疑似科学の一種。心の動きと脳の働きを対応させた分布図が知られる。ドイツ人の化学者 Franz Joseph Gall によって一七九六年に提唱され十九世紀に流布した。
英国では一八二〇年にスコットランドのエジンバラにセンターが置かれた。本誌に掲載の「各国天賦の才能気質と其脳発達とは一致す」という論文は蘇国(スコットランド)の優越について述べているから、あるいは日本の性相学は英国経由なのかもしれない(?)。
九谷焼きの置き物らしい。
「カリフォルニア時間」というブログにこれに似た陶像と「phrenology」についての考察がある。