カバア[ママ]のついている『美しい暮しの手帖』第十号(一九五〇年一二月一日、表紙=花森安治)。先日の名古屋で求めた。
海月書林さんのサイトに次のように解説されている。
《一世紀の七号から「表紙がぼろぼろになつてしまうのが悲しい」(七号あとがきより)とつけられたもので、紫、ピンク、緑の三種類があります。背表紙にあたるところには「美しい暮しの手帖」の文字があり、カバアの作り方も点線入りで丁寧に説明。ほんのりと浮きでた花模様もすてき。紙モノ好き、ブックカバー好きにもぜひ。タテ37.5・ヨコ55センチ。》
一頁前後のエッセイがたくさん並んでいる。中谷宇吉郎、新村出、笠信太郎、扇谷正造、戸板康二などなど名手がずらり。そのなかで目にとまったのが中村メイコ「結婚記念日」。中村メイコの紹介が《筆者は中村正常氏令嬢・映画俳優十六才》となっている。戦前から子役をやっていたが、まだブレークする前である。
「お金が少し足らないわ…」
「そうすると…何か売ることになるの…?」
「早く言えばそういうことになるわね」
「売つちやいましようよ…何か…」
「えゝ…何がいいかしら…」
これは、四十にほどちかい一人の母親と、彼女の一人娘にあたる、十六才の少女とが、時々かわす会話である。
こうして、この家の不用品は少しずつへつていくのだが、母と子はさして不幸だとも思わなかつた。
こんなふうに始まって、毎年、結婚記念日に三人で母の手料理を食べる銀のナイフやホーク[ママ]を、母が売ろうとして業者に値踏みしてもらっているところを少女は目撃する……というふうに進んで行く。十六歳でこれくらい書けるとはちょっと驚きだ。
国会図書館で検索すると中村メイコには『小さな花の背のび』( ひまわり社、一九五二年)から三十冊以上の著書がヒットする。作家だった父よりも著書は多いだろう。父のことも書いたエッセイ集を持っていたが、どこに仕舞ったか……。
父の中村正常はまだウィキにも項目がない作家だが古書価はそれ相当なもの。『隕石の寝床』(新鋭文学叢書、改造社、一九三〇年)、『ボア吉の求婚』(新興芸術派叢書、新潮社、一九三〇年)、『二人用寝台』(日本小説文庫、春陽堂、一九三三年)、『歳末遣繰譚・適齢ガール三人組』(第百書房、一九三五年)、『二人で見た夢』(新作ユーモア全集、春陽堂書店、一九三八年)など昭和モダン期に活躍した。