息子が小犬をもらってきたのは一九九四年の初夏だった。友だちから預かって帰った見合い写真に妻がまいってしまった。「フン」という感じで両足を踏ん張る小さな姿は何とも微笑みをさそうものだった。母親は柴だというふれこみだったが、写真ではどう見てもミックスである。父親ははっきりとは分からない。近隣のオスだそうである。どこからともなく現れいずこへか去って行ったという。
毛色が茶白というか黄土に近かったのでミカンと名付けた。利発な、それだけに小心な雌だった。生まれて一年もしないうちに神戸の震災に遭った。半日あまりキャンとも言わず倒れた本棚の蔭で震えていた姿を思い出す。十二歳で死ぬまで、ほぼ毎日、早朝と午後との二回、散歩をさせるのが小生の役目だった。
桂川は嵐山から木津川へそして淀川へと合流している。途中桂離宮の傍らを過ぎているが、その周辺にかなり広い川岸公園が整備されており、そこへはよく通った。一キロほどの距離を歩き、小さな運動場でボール遊びをする。ゴムボールを転がして追いかけさせる。息があがるくらい何度となく繰り返す。
そんな散歩の道々で拾ったのがこれらの錆果てた金具類である。何かの折りにこぼれ落ちたか、置き忘れられ、ほろほろと崩れるほどに風化している。銀色に輝く新品のときには想像もつかない、時の加工品である。
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『sumus』13号のゲラをチェック。大きなミスはないようだが、細かい直しがけっこうある。創元社の『書影でたどる関西の出版100』のゲラも同時進行で直して行く。こちらの執筆者は21人(小生含む)。昨年、全員にPDFで数度にわたって校正をしてもらっている。今回は創元社のプリンターで出力したもの。念校のつもりだった。ほとんどの方は、訂正なし、または数ケ所。が、そうでない方も若干名おられた。そうカンタンに事は運ばないものだ。いい本になりそうなので最後のふんばりどころと思って集中する。
思えば、この二作にかかりきりの年末年始だった。一月も残り少なくなってきたにもかかわらず、ブックオフ以外どこの古本屋ものぞいていないとは、近年にない記録的古本ブランクかも。むろん目録とネットでは何冊か買っているが……。