太宰治『バンドラの匣』(河北新報出版センター、二〇〇九年)。『河北新報』に連載され同社が昭和二十一年に刊行した版の復刻(複写)。連載時の挿絵および装幀は恩地孝四郎。挿絵のごく一部が本書にも使われている。映画「パンドラの匣」(冨永昌敬監督)も公開され、世は太宰ブームたけなわ。例の
荒戸源次郎監督の「人間失格」も公開は近いのだろう。
なかにこんな会話がある。
「ねえ、教へてよ。ごめんなさいね、つてのは英語でどういふの。」
「アイ、ベツグ、ユウア、パアドン。」固パンは、ひどく気取つて答へる。
「覚えにくいわ。もつと簡単な言ひかたが無いの?」
「ヴエリイ、ソオリイ。」
「それぢやあね。」と別な助手さんが「どうぞお大事にね、つてことを何といふの?」
「プリイズ、テツキヤア、オブ、ユアセルフ。」take care を、テツキヤアと発音する。なんとも、どうも、きざな事であつた。
結核療養所の助手たちが新しい入所者「固パン」(登場人物にはあだ名がつけられる、「坊ちゃん」みたいに)に英語を尋ねるシーン。ここで先日の『商店日米会話』を思い出したわけである。ついでなので敗戦直後の小型英語本を集めてみた。
白いのが『日米会話手帳』(科学教材社、一九四五年)、その下左が『ポケット会話』(京都印書館、一九四五年)、下右が『実用日米会話』(綜文館、一九四六年)、右側の緑が『日英米労働用語辞典』(兵庫県立労働研究所、一九四九年)、その下敷きになっているのが『英文タイプの操作と練習』(実用英語会話学院出版部、一九四六年)。どれもこれまでに紹介したことがあるような気もするが、一堂に会するということで。
ところで太宰の『パンドラの匣』にはタネ本がある。東大阪市の生駒山西麓にあった孔舎衙健康道場に入所していた木村庄助の日記がそれで、オリジナルも『木村庄助日誌 太宰治『パンドラの匣』の底本』(編集工房ノア、二〇〇五年)として刊行されている。
どうしてノアから? と思ったら編者の木村重信氏は木村庄助の弟とのこと。国立国際美術館の館長だった木村重信氏は「編集工房ノア25周年記念会」(二〇〇〇年九月)でも挨拶をしておられたから、社主とは親しい間柄なのであろう。
そう、記念会で思い出した。私事ながらノア氏にはこのときすでに拙著『喫茶店の時代』の原稿を渡して久しく(まったく進んでおらず)、ちょっとイラついていた。それでも二〇〇二年にはちゃんと出してくれたので、今となっては有り難いことだと思っている。そういう点ではたいへん粘り強い方である。