《(第八回文部省美術展覧会出品)/褒状/午后の海 山脇信徳 A》と書かれた絵葉書。AとあるからにはBやCもあるのだろう。百万遍の古本まつりで三枚二十円で買ったものの一枚。二箱あったほとんどが文展出品絵葉書だった。この類いの絵葉書は数がたいへん多いのであまり興味は引かれないが、今思えばまとめ買いしておいてもよかった。
山脇信徳(1886-1952)は高知生まれ、東京美術学校在学中に
第三回文展(文部省美術展覧会)に出品した「停車場の朝」が入選し褒状に選ばれ話題になった。五年後のこの「午后の海」を友人の志賀直哉が「光を描く名人」と絶賛したという。
第八回文展の行なわれた大正三年は、横山大観らが脱退して日本美術院を再興し、石井柏亭らが「反文展の旗印を掲げて」二科会を結成した年。山脇は大正六年に日本美術院展に出品し、その後十二年には日本美術院を離れた小杉未醒らの春陽会の創立に参加、渡欧中の十五年には梅原龍三郎らの国画会創設に加わった。
かつて実見した作品の記憶があるのだが、その絵は検索してもヒットしない。不器用な画家だが、それはそれでいいかもしれない。