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幻視者の文学安東次男『幻視者の文学』(弘文堂、一九七〇年一一月三〇日、装幀=加納光於)。加納光於は昭和八年生まれ。独学で銅版画を学び二十一歳のときに瀧口修造を訪問。昭和三十一年に瀧口が企画していたタケミヤ画廊で最初の個展を開いている。タケミヤ画廊は神田にあった。樽見博さんの調査によれば以下の通り。 《住所は小川町3−3。つまり現在の崇文荘書店と同じです。同書店の現当主になられた阿部さんに聞いたら、今は隣がビルになっているが、昔は隣が帽子屋で、さらにその隣がタケミヤ画廊であったとのことです。タケミヤ画廊のあとは、ミズノのサッカーシューズ専門店になっていた。この帽子屋とミズノの店は私も記憶があります。阿部さんによると、二十年くらいまではタケミヤがあったとのことです。なかなかいい親父だったとも。》 ということは小生の学生時代にもあったわけだが、神田の画廊はほとんど記憶が無い。画廊巡りをしたにはしたはずなのだが。 安東次男の本にもどると、表題作「幻視者の文学—梶井基次郎」の冒頭は京都の古本屋である。 《梶井基次郎という名まえを、ぼくは、北白川にあった一軒の古本屋でおぼえた。昭和十二年の六月頃だったが、当時ぼくは第三高等学校の文科丙類に入ったばかりだった。》 昭和十年の『古本年鑑』(古典社、一九三五年)によれば、《北白川》に相当する店は「北白川追分町」の「カタナヤ」だけである。梶井が死んだのは昭和七年三月二十四日。安東は自分のまわりでは誰も知らない作家だった梶井を掘り出して悦に入っていた。 《もっともぼくは、梶井の作品に惹かれてその全集(六蜂書房版の、例の黄ツムギにローズ・グレーを配した豪華な本である、)を買い求めたわけではない。薄汚れた古本屋の棚には不似合なほど本が美しかったからである。それに値段も、大してゆたかでもないぼくの小遣いを割いて気にならないほど、まだ安かった。彼がぼくの知られざる先輩だということも、多少関係があったろう。ともかくぼくは、その日以来梶井のとりこになった。》 梶井も三高出身。そして同じく三高出身で、忘却の淵にあった梶井をつねに第一級の作家として世間に知らしめようと生涯努力を惜しまなかったのが、誰あろう淀野隆三であった。安東の回想にはさらに驚くべき記述が続く。 《それから一年くらい経ってからだが、ぼくはやはりこれも誰のものでもないぼく自身の手で掘りだした作家を三人もつことになった。第一書房版の「牧野信一全集」は河原町の大きな新刊屋に、いつまでも売れないで棚ざらしになっていた。中原中也の「在りし日の歌」も同じ本屋に十冊ばかり積んだまま一向に減る気配はなかった。これらの場合は、他人が買わない本を買い求めることの娯しみと一種の優越感が、ぼくをかれらの方に惹きつけたと云える。「富永太郎詩集」のばあいも、ぼくが既に若干文学というものに興味を覚えはじめていたという以外には、事情はほぼ同じだった。》 今となっては夢のような新刊書店だ。『在りし日の歌』は昭和十三年創元社刊。再版しているが、たいした部数ではない(初版六百部、二ヶ月後に再版三百部)。京都の同じ本屋に十冊積んであるというのは驚きだ。誰か関係者が持ち込んだか、よほど文学通の仕入れ担当者がいたのであろうか。第一書房版の『牧野信一全集』は昭和十四年刊。『富永太郎詩集』の遺稿集版は昭和二年、筑摩書房版は十六年刊である。 夢のようだとは言うものの、おそらく今だってこんな貴重な本はたくさん出回っているのではないだろうか。誰にも(ごくわずかの人々以外には)それが分からないだけのことである。 ということで、数日間、東京へ出かけます。
by sumus_co
| 2009-11-17 21:29
| 古書日録
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