晶文社の犀のマークは二種類ある、ごく最近気付いた。犀そのものは同じだが、初期のものは楕円の囲みケイが付いていない。写真は植草甚一の『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』(一九七三年四刷、初版は一九七二年)と『ぼくは散歩と雑学がすき』(一九七四年一四刷、初版は一九七〇年、装幀はともに平野甲賀)。この二冊の初版本が出る間に変更があったのか?
平野氏の装幀作品図録である『平野甲賀装幀の本』(リブロポート、一九八五年)に当ってみると、一九六四年十一月ごろから平野氏は晶文社の装幀を手がけ始めている。同書の図版のなかで初めて楕円の囲みケイが現れるのは一九六六年の丸谷才一『梨のつぶて』(と思ったが、これは後刷のジャケットだった)。しかし六〇年代はケイ無しがほとんどである。七一年あたりからボチボチ多くなり、おそらく七二年以降は、過去の増刷分以外、必ず楕円が付くようになった。
だからどうした? と言われても困るけど。
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Mさんより昨日届いていた古本メール。
《岸田劉生の装幀した本は、見かけたら買うようにしていますが、中々出てきませんし、出会っても値段が折り合わないことが多いのですが、今日は巡り会えました。大阪のT書房さんで『雑三百六十五』武者小路実篤大正9年、少々痛んでいますけど500円ですから嬉しいですね。その後武庫川の街の草さんに行ったら、なんと『政田岑生詩集』が棚にあるではありませんか。値段を見てちょっと躊躇しました。でもいただかないわけにはいかないでしょう。思い切って買いました。他にも欲しい詩集等がいくつもありますが今日は我慢です。お店には遠く大阪のM市から詩集が沢山あると聞いて来られた女性も。》
詩集といえば、昨日、扉野良人氏が亀鳴屋さんの最新刊、外村彰『念ふ鳥(おもふとり) 詩人高祖保』をうれしそうに持ち歩いていた。さすがに素晴らしい出来映えだった。涎(よだれ)が垂れた。
龜鳴屋表紙
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