伊藤整『詩集 雪明りの路』(椎の木社、一九二六年一二月一日、特選名著復刻全集近代文学館、一九七一年二刷)。百万遍の初日の最初に買った一冊。百円。『サンパン』でご一緒している(していたと過去形の方がいいのかも)菅野俊之氏より頂戴した『福島自由人』24号(北斗の会=福島市宮下町12-3、二〇〇九年一〇月二六日)、氏の「H氏賞事件と北川多紀」のなかにつぎの一節があったので寄寓と思った。
《詩人に憧れぼくが詩集を耽読しはじめたのは、十六歳のときに伊藤整の自伝小説『若い詩人の肖像』を読んだことがきっかけであった。作品の舞台になっている小樽の街や蘭島と忍路(おしょろ)の海浜を数日かけて歩き巡ったこともある。彼の通学した小樽高商旧校舎の一部や木造寮がまだ残っている頃で、風花の舞う小樽の街を詩人になった気分で半ば夢見心地に彷徨った。若き日の伊藤整の詩集『雪明りの路』は今でも、立原道造の『萱草に寄す』と共に愛惜して已まない。》
「H氏賞事件」というのは吉岡実『僧侶』が受賞した昭和三十四年の第九回H氏賞(当時はH賞)の選考に関して怪文書が出回り、その責任をとって幹事長の西脇順三郎が辞任したことを指す。北川冬彦が後任に選ばれたが、事件の根は次点だった北川多紀『愛』(時間社、一九五八年)にあったようだ。多紀は北川冬彦(本名、田畦忠彦=たぐろ・ただひこ)の妻(本名、さきい)である。菅野氏ははっきりしなかった北川多紀の出自と没年をほぼ明らかにされている。
この事件について小生は小田久郎『戦後詩壇私史』(新潮社、二〇〇五年)で読み齧ったことを記憶している。菅野氏はそれ以外にも周到に関連資料を列記されておりとても参考になる。北川冬彦と淀野隆三は『青空』でいっしょだったし、その後協力して『詩・現実』を刊行している。いずれもう少し知りたい人物だったので有り難かった。